コロナ死者数は517万人で増え続けている。

   



 日本ではコロナウイルスは現状では沈静化した。昨日は日本全体で感染者は、新たに77人とある。100人を下回って落ち着いてきた。 死者がいない日もある。本当に奇跡のようなことで、ありがたいことだ。恥ずかしながら、すこし嬉し涙がにじんでしまった。

 コロナ優等生の韓国が4000人越えが続いている。韓国は感染対策で今まで成功した国で、今になって感染拡大が続いている。きっと何か理由があるのだろう。やはりまだ経済の為に、規制を取り除くことはできない状況なのではないか。

 オミクロン株の世界での広がりを受けて、岸田総理大臣が外国人の日本への渡航を禁止した。英断である。この処置に対する一切の責任は、総理大臣としての自分がとるといわれていた。何があるかわからないが、多くの日本人がこの判断を支持するに違いない。

 世界を見渡すと、コロナウイルスが弱体化したという事はない。むしろヨーロッパの中で模範とされたドイツが、今になって過去最大の感染拡大になっている。又ロックダウンをせざる得ない国が登場している。オミクロン株という南アからの変異株が、世界に広がり始めている。

 何故、日本は感染が増えないのかを思うと、まるで神風が密状態を吹き除いてくれているような思いになる。日本にオミクロン株が入らないように、水際対策を全力を挙げて欲しい。これが防げれば、第6波も何とか防げるかもしれない。駐留米軍の感染者を徹底して防ぐ必要がある。駐留米軍も外国人に入れなければならない。

 コロナ感染者が急激に減少した理由はどう考えたらよいか明確には分からないが、日本人の大多数の人がコロナ感染に関して、良い行動をとるようになったことだけは間違いがない。何か日本人が誇らしくて、見直してもらってもいいのではないだろうか。

 政府や行政の現場対応は十分とは言えない。医療体制の準備も時間があったにもかかわらず、十分には出来なかった。コロナに感染したことが分かっているのに、医療機関への入院も一時収容施設も出来ないまま、自宅で亡くなられた方が、相当数出てしまった。

 本気みんなが気を付けるようになったら、急速に感染者が減少した。コロナは気を付ければ感染しない方法があるという事が、理解されてきたのではないか。人混みでの対応が整ってきた。特に酒を出す飲食店の対策が進んできたのではないだろうか。ワクチンを打つのは自分の為もあるが、周りの人の為でもある。

 いま日本がやるべきことは第6波が来た時の対応策の準備だろう。それが国の安全保障である。アメリカでの死者数は775,797 人、第2次世界大戦時の死者数を超えたのだそうだ。このまま行けば、世界で1000万人の死者というような恐ろしいことになる。日本は第2次世界大戦ではおおよそ300万人が死んだ。コロナでは1万8369人の死者。

 コロナで世界は変わるはずだ。何も変わらないというようなことを主張する人もいるが、変わらないはずがない。すでに人間も社会も変わったように感じている。第2次世界大戦で世界は変わった。それ以上に人類は変わらざる得ないだろうと思う。

 何が変わるのかと言えば、拝金主義だけではだめだと気づく人が増えるという事である。人間はどれほど金持ちになろとも、あっけなく死ぬという事だ。道元禅師が言われたように、生きるという事と、死ぬということを、自覚することで人間は変わるという事である。

 現代人は死というものが遠くなり、日常の中から消し去った。家族が死んだときぐらいが死というものを、強烈に思い出す瞬間だろう。それも、コロナ下では直接は触れ合うことも出来ずに、死の実感すら薄いことになっているのかもしれない。

 熱海での土砂災害ではいまだ見つからない方がいる。東北の大津波では沢山の方が行方不明のままである。行方不明の人は海に行かれたのだろうか。海の東方の浄土に行ったと考える他ないのだろう。会うことも出来ないわかれは辛いことだろう。

 向昌院のおばさんに当たる人は、コロナ下で病院で亡くなった。面会もままならないまま葬儀も、何か月も経過してからという事になった。向昌院でお線香だけは上げさせてもらったが、何かけじめのような気持にはならない。おばさんですらこんな気持ちなのだから、両親との別れであれば割り切れない気持ちが残るだろう。

 生きとし生けるもの必ず去ってゆくことになる。72歳の今思う事は動ける間に、どれだけやるべきことをやり切れるかという事である。やり残すことばかりであろうが、自分の努力不足でやり残すことだけは情けないと思う。コロナでそういうことを実感させてもらった。

 水彩人のこともある。あしがら農の会のこともある。石垣島で始めようとしている楽観園のこともある。どれもが自分が始めたことである。結果を問うつもりはなく、その時その時にやるべきことだと考えて始めたことである。行く先を考えるわけではないが、全力は尽くしたい。

 いまだ自分自身の力の注ぎ方が充分とは言えないかもしれない。もしコロナで今自分が死ぬ訳にはいかない。あと5年動ければ、形になるかもしれない。水彩人もあしがら農の会も、私の役割は側面から手助けをするぐらいの所である。

 大した役割はないのかもしれないが、出来る限りのことをしたい。そうしなければやり残しになる。人間一人の力など知れたものだが、全力を出すという事はまた別のことだと思う。まだ身体は何とか人並みに動ける。今回も渡部さんについて、何とか半分くらいは作業を続けられた。

 石垣島で農園を始めるなど、1年前までには思いもよらぬことだった。これもコロナに直面して、選んだことなのだと思う。やり尽くせと、命に言われた。そうしなければ、自分の絵を描くことなど出来ないという事だ。すべては自分の絵を描くという、生きる方角に従ってのことだ。

 まだ5年間身体が動けるとすれば、もう一度楽園の農園づくりに挑戦しろという事だ。動き始めたことで、石垣島でも素晴らしい人たちとの出会いが生まれ始めている。一緒に力を寄せ合う事の出来る人がいるという事は、こんなにうれしいことはない。

 小田原であれこれ農作業をさせて貰う充実は、生きているという事を実感させてくれる。自給のために全力で働くという真っ当な生活。こういうことをしたいから生きているのだと思う。こうした生活が絵を描くという事に繋がっているのだと思う。


 

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