第83 回 水彩画 日曜展示
第83 回 水彩画 日曜展示
今回も10号でファブリアーノクラシコ

505「白馬岳」
2021.11

506「妙高高原」
2021.11

507「飯縄高原」
2021.11

508「南伊豆」
2021.11

509「ヒカゲヘゴ」
2021.11

510「海に続く牧場」
2021.11

511「丘陵の眺め」
2021.11

512「戸隠の池」
2021.11

513「霧ヶ峰高原」
2021.11

514「藤垈の桜」
2021.11
農作業をしては、絵を描くという生活に戻った。どうもこの方が絵を描くには具合が良いようだ。頭の半分が農作業になる。絵のことだけを考えている方が、絵を描くには良いと思ったのだが、絵のことを忘れている時間というものも必要なようだ。
絵だけを描いていた石垣島に来てからよりも、今の方が絵を描ける枚数は増えてきたようだ。数が多ければいいという訳でもないが、絵を描きだすと書きたい意欲は、大きくなったような気がしている。
絵を描くときは田んぼをやる時のように、田んぼをやる時は絵を描くときのように。これはいつも心掛けていることなのだが、絵を描くときにの気持ちの置き所が、定まってきたような気がする。どのような気持ちで描いているかという意味で、揺れ動くことが無くなった。
いつも同じにただ描いている。これは毎朝の動禅の効果かもしれない。動禅は心の統一を心掛け行う。動禅の時は呼吸と動きに集中している。まだ正しい動きも呼吸も出来る訳ではない。60点くらいの状態である。まだできない動きすらある。
できないからできるようにと思い動きに一生懸命である。絵も出来ないから、描くことに集中できるのかもしれない。できることを出来るようにやっているのでは、作業になってしまうのかもしれない。できないかもしれないことに向っていることが、私には向いているのかもしれない。