箱根仙石原で絵を描いた。

   



 箱根仙石原で絵を描いた。仙石原は箱根のカルデラの内側にできた草地と湿原である。光の入り込み方が微妙な場所で、描く時間でずいぶん風景が変わる。家からは1時間はかからないので、以前から時々描きに行く。人のまずは来ない絶好の場所を見つけているのだ。

  5月初めのこの時期のみどりは、標高でずいぶん変わる。早春の淡い色を描きたくて、仙石原に行った。石垣島の強い緑ばかり描いていて、淡い緑に懐かしくなったきた気がする。この春を知らせる色は心躍るものがある。そもそも石垣島では厳しい冬がないから、春が来たという感動は薄くなる。

 仙石原の面白さはやはり回りが外輪山で囲まれていて、カルデラ内が光が微妙に廻っている。あちこちに乱反射しているようで、光がまるで舞台を照らしているように感じる。そのせいなのか、景色がとても治まっている。どこか箱庭のように出来上がっていると言ってもいい。

 今回の小田原の3週間はずいぶんと絵を描いた。半分農作業、半分は絵を描いた。笛吹市から塩山方面。そして、篠窪。仙石原。仙石原は今まではあまり描かなかった。箱根を描くという事になると、どうしても箱根駒ケ岳を描いた。表側からも良く描いた。そこは中川一政氏が描いた場所である。また、裏側からもなかなか良い場所がある。

 それが駒ケ岳が描きたいという気分には少しもならずに、仙石原の当たり前の風景を描きたくなった。少し気持ちが変わったようだ。厳しい噴火した山の力のようなものより、普通に人の暮らしている場所の方が描きたくなっている。
 
 絵を描く意識が少し変化しているのかもしれない。変化していれば素晴らしいことだと思う。絵が良くなろうが、悪くなろうが、まずは変化するということが大切だと考えている。同じところにいるという事は、どんどん衰えているという事である。

 絵を描くという事は以前の自分を乗り越えるという事だと考えている。どうしても年を取ると自分を固定化して変えることができなくなる。それを少しでもぶち壊し、次の自分を掘り起こしたい。絵を描くという事は画面が出来上がるという事だ。

 出来上がった絵がすべてである。絵が前に進んでいなければ、絵との向かい合い方がおかしいのだ。絵は自分の思い以上に結果を表している。絵を見て、自分の日々の暮らし方を問うほかない。そうして自分を掘り返していきたい。

 4か月ぶりに小田原に来て、絵がいろいろのことを確認させてくれた。仙石原の風景が絵を描くうえでの大切なことを思い出させてくれた気がしている。仙石原には水彩画の大先輩の栗原さんの家がある。以前みんなで泊めて頂いたことを思い返していた。

 あの時は月に一回小田原に来て一緒に絵を描いていた山吉とし子さんも一緒だった。あの仙石原の旅行が最後の旅行だった。素晴らしい絵を残して亡くなられた。山吉さんの絵が手元にある。絵を見ると思いだすことが山のように出てくる。

 仙石原で絵を描くとどうしてもそうしたことも含み込まれる。絵はその人の記憶とともにある。描いているときには何か思い出しているわけでもない。ただ目の前の風景と向かい合って、何とか目の前になる素晴らしいものを描けないものかとしている。

 改めて絵を見てみると、その時には思いもしなかった記憶が絵には含み込まれている。そういえば、山吉さんとは月に一回久野の家の周辺で描いたのだから、久野はほとんどを描いた事になる。午前中描いて、午後はその絵を並べて感想を語り合っていた。

 もう少しちゃんとした絵を描かなければ、亡くなられた人にも申し訳がない。何故そんな気持ちになるのかはわからないが、それ以外やれることもない。記憶という物は実に不思議なものだ。目の前に見えているものは記憶と重なり合いながら絵になる。

 仙石原が霧にかすむなかで絵を描いていたので、そうなったのかもしれない。記憶には良くセピア色という言葉が言われるが、記憶の中にある色彩に現実の世界で出会う事がある。この早春の色彩は私の中の記憶の色なのだと思う。

 淡いオレンジのような色のような気がしている。その色が絵に現れると記憶の中の風景に引き込まれてゆく。その風景は山梨の藤垈なのだ。その風景は自分の中に沁み込んでいる。目の前の風景がそれに重なり合うと絵を描きたくなるのかもしれない。

 そんな過去のことばかりを考えるようになったのは年を取ったという事かもしれないが、子供のころに沁み込んだ色彩はどうしようもないようだ。自分の目はその10歳ころまでに作られてしまっているようだ。私が惹かれるものが10歳ぐらいまでの景色に由来するのは当然かもしれない。

 仙石原の色彩は確かに子供のころの藤垈の色に近い。石垣島の風景を描いていて、そのことを改めて思い出した。強い緑の風景ばかり描いていて、余計にそのことが意識されたのではないだろうか。人間の感覚は繋がっているから当然と言えば当然である。

 これからも石垣島と小田原とを2拠点生活を続けたいと思う。いつまで続けられるかわからないが、絵を描くうえでは重要なことになる気がしてきた。小田原からなら、山梨に行くことも難しくはない。季節ごとに来ては絵を描く。自分の変化の確認になるのかもしれない。

 今回の小田原の3週間はそういう事が確認できたような気がした。石垣での暮らしが定着してきたという事でもあるのだろう。あと何年こうした暮らしが出来るのかはわからないが、この貴重な時間を大切にしたいと思う。

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