世界の持続可能性は江戸時代にある。

   



 日本が衰退し始めていると言うことは、共通認識になりつつある。その実情を踏まえた上で、これから政治がやらなければならないことは日本の未来社会像の議論だろう。どこに向かうのかについての議論がなければ、力が定まらない。

 そう思って内閣府のホームページを見ると、「日本21世紀ビジョン」と言うものがあった。内閣府のこれからの日本についての解説がある。「日本21世紀ビジョン」では日本は緩やかだが、着実な衰退を迎えてしまいます。としている。

 ビジョン検討委員会ではこのさきの衰退を予測している。この点ではアベ時代よりは一歩前進である。そして3つの方向が示されている。
(1)開かれた文化創造国家
(2)「時持ち」が楽しむ「健康寿命80歳」社会
(3)豊かな公・小さな官

 このことを議論してみたい。特に「開かれた文化創造国家」について、文化とは何を意味するのか。ここでの文化の事例として「日本の優れたモノづくり、アニメやファッション、食文化 。」と言うことが示されている。藝術、芸能は含まれていないところが内閣府らしい。  

 文明が明治の言葉で、文化というと昭和のどちらかと言えば戦後言葉のような気がする。開かれたというところに、日本が閉じているという感覚もあるのだろう。確かに日本は縮こまり、閉じこもったような空気になってきている。しかし、日本文化が高まった時代は江戸時代で、鎖国の時代である。

 物作り、アニメ、ファッション、食文化を上げたのは、経済と結びつかない文化は意味のない文化と考えていると言うことが見えてくる。文化勲章の対象は伝統芸能や画家などに与えられるが、それらの文化が未来に繋がっているとは考えてはいないのだろう。保護しなければ維持できないような文化は問題にしない。

 文化は趣味や娯楽と繋がっている。それを経済と最初から結びつけるのでは考えが狭まくなる。確かに文化は権力者や富によって支えられてきた。ところが権力はその余裕を失った。お大尽はお金にならない文化には興味を持たないつまらない人達になった。それが文化衰退の原因。文化も目先の経済性が求められている。そしてそれ以外の文化は問題にされない。

 江戸時代にも権力者に結びついた、琳派のような藝術もあったが、同時に庶民が支えた浮世絵のような物も存在した。仮名草子や浮世草子のように庶民が支えた出版文化も存在した。江戸時代の和服や織物の素晴らしさは、世界に誇れる物で格別だろう。能のような高尚な舞台芸術もあり、同時に歌舞伎のような庶民が親しめる物も存在した。

 盆栽や朝顔、等の園芸文化や、桂離宮などに見られる建築や造園の文化も世界有数なものである。日本鶏や金魚の趣味も江戸時代の文化は世界でも高い水準のものであった。何故江戸時代の経済の停滞した貧しさの中で、これほど高い文化が存在したのかを考える必要がある。

 明治時代に開国した日本が西欧に追いついたと言われるが、江戸時代の文化はむしろ西欧よりも優れていたと考えて良いのだと思う。特に江戸時代の庶民文化をかんがえてみると、日本は世界でも珍しい大衆文化国家だったのだと思う。加えておけば農業に於いても、江戸時代の水田農業の生産性は世界一であった。

 日本の未来を考える場合、江戸時代の文化に着目する必要がある。江戸時代を明治政府が、富国強兵や脱亜入欧で否定してしまい評価しなかったためにあえて江戸の庶民文化を否定した。その結果世界で評価される日本のアニメーションが突然現われたように考えてしまうのだ。

 御絵草紙があり、絵草紙があり、伽草子があり、俳句を庶民が楽しめた社会。そして漫画が生まれ、その先にアニメーションがある。文化はその社会の歴史的な蓄積の上にある。文化には厚みが必要なのだ。源氏物語絵巻や鳥羽僧正の鳥獣戯画のような高度なものを生み出す下地として必要な物が、大衆の文化レベルの高さである。

 文化を重視した日本の方角は大賛成だが、文化は経済とをつなげて考えてはならないと言うことだ。どれだけ貧しくともらんちゅうを飼い続け、盆栽に熱中した江戸の庶民がいたのだ。そういう中から、高度な文化が生まれる。同時に、江戸時代の日本の百姓が優れた自然観察者だったと言うことを考えておく必要がある。そうした中から文化は生まれてくる。

 文化を高めるためには教育が重要とも指摘をしている。同感である。問題はその教育の内容である。文化を高める教育をする必要があると言うことだろう。江戸時代の寺子屋教育を考えてみる必要がある。識字率は世界有数であった。寺子屋の名前の通り、教育では礼儀作法や倫理が重んじられた。

 倫理を確立する教育も必要であろう。果たして現代の教育はその方向になっているのかと言うことだ。残念なことに日本の教育はどちらかとえば、倫理を失い、能力主義競争主義が基本になっている。文化を高めて行くためには、教育の方向を変えなければならないのだろう。

 絵を長年描いてきて、美術教師でもあった。美術教育の大切なところは、美術は人間にとって、何故必要なのかである。美しいと感じる心は、どうすれば育つかである。何が良い文化なのかを教育では考えなければならない。豊かな感性の人間が、高い文化的創造物を作りうると言うことに成るのだろう。

 豊かな人間性、つまり美しいものを美しいと感じる感性を育てる教育があって始めて、高い文化の国はできる。具体的に言えば、作務を教育に取り入れることだ。日本人が高い文化を持ち得たのは、江戸時代には日本人の大半が手作業で生きていたと言うことがある。特に大半の人が自然と向き合う農業に携わっていたことにある。

 眼で自然を見て判断する。身体を使い、手で仕事をする。この積み重ねがあって日本人は文化人になった。物を見る眼を持った日本人が大量にいたからこそ、江戸時代日本が文化国家になれたのだ。自然を見る眼も、文化的創造物を見る眼も同じである。

 自然を見て美しいと感じる心がなければ、絵を見て美しいとは思えない。自然のわずかな変化を感じられる感性があって始めて、創作活動ができる。江戸時代の日本はどこの国より、掃除の行き届いた美しい国であった。自分の暮らす場を美しく保つと言うことが、江戸時代の里地里山である。

 掃除をすることが美徳であり、教育である。そういう作務教育こそ文化を育てるのだと思う。明治以降の日本文化は、実は衰退してきたものといえる。いよいよ江戸時代の遺産を使い果たしたところだと思う。次の時代の文化国家を目指すためには、地に足の着いた暮らしを取り戻さなければならないと言うことになる。

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