のぼたん農園の緩やかさ

   



 のぼたん農園が目指している方角の遠い先の先にあるものは、宮沢賢治の思い描いたような理想郷、「イーハトーブ」の自給自足の共同体なのだとは思う。宮沢賢治は黒板に「下ノ畑ニ居マス 賢治」と描き残して38歳で去って行った。「今ハのぼたん農園ニ居マス イズル。」

 しかしそのことは、結果的なことだ。共同体の旗を立てて、出発すれば間違いなく転覆する。はためく旗の風に押し流される。そんな失敗を何度か観てきた。賢治の夢を実現するためには、静かにこぎ出さなくてはならない。強い決意を秘めて、静かな気持ちで。

 大きな冒険ほど実は確実な日々の連続である。旗などたたんで目的地にむかうものだ。共同体は結果的なことで、自給のための技術の確立がないのでは話にもならない。理念は技術に現われる。正しい理念をもち、正しい方角に歩んでいて、結果が出ないはずがない。

 理念がだめならば結果が出ない。結果が出ると言うことは目標が間違いでは無いと言うことになる。有機農業が正しい理念の農業であれば、必ず植物は万全の成長をして、充分な実りをもたらしてくれるはずだ。慣行農法よりも収量が低いはずがない。

 お米が10俵採れたときに、始めて自給生活のことを語れば良い。お米がとれないのであれば、共同体などそもそも無理なことだ。共同体はひと先ずは置いておくことだ。その土地に合う自給のための技術を確立しなけなければならない。田んぼは10あれば、それぞれに違う。土が違う、水が違う。そのイーハトーブに合った農業技術を見付けなければ成らない。

 その農場では子供やお年寄りや女性や力の弱い者が働ける。機械をできる限り使わない技術。化石燃料をできる限り使わない技術。永続性のある技術。土壌が育ち何も持ち込まないでも、循環が継続されて行く技術。最も時間と労働力が少なくて済む技術。身体を作る美味しい食べ物が出来る技術。

 のぼたん農園という場所で可能な最も楽な自給農法を探さなければならない。自給農法には化学肥料や農薬はない。化学肥料など自分で作り出すことが出来ないのだから、使えるわけがない。農薬も自分で作り出せるものはえひめアイとかお酢ぐらいだろう。江戸時代に戻って農業をやると考えればいい。

 江戸時代の日本人には出来たことなのだから、現代の品種改良されたものであれば、より容易に自給農業ができるはずだ。自分の暮らしで確かめてきた自給農業は一日100坪の土地で1時間の労働をすれば出来るというものだった。

 現代人歪んで、頭が固まってしまったから自然の総合を観ることが出来ない。人間がほぐされなければ、自給農業は出来ない。柔軟に、臨機応変に、自然に従う農法である。小田原と石垣島ではまるで違うと言うことが、身に染みて理解できた。石垣流の自給の技術を2026年までには実現する。

 自給の技術は思想の色もなければ、傾向もない。ただ、結果的な技術の到達点があるだけのことだ。近代農業、大規模農業、機械農業、IT農業、プランテーション農業それらの技術よりも、自給農業の方が、優れた農業の方法だと考えている。

 繰り返すが自給農業は1日1時間100坪の土地があれば、可能な農業だ。しかも何時までも同じ場所で耕作が続けられる。このやり方であれば、日本という場所で6000万人は暮らして行ける。もう少し日本人が減れば大丈夫だ。もし人間が共同することが出来るならば、その倍の12000人が日本で暮らせる。

 問題は楽しく仲良くやれるかである。のぼたん農園は楽観の思想に基づいている。楽しんで未来を観るの楽観である。希望を描くと言うことだ。希望の共有が出来れば、楽しさが続いてゆく。安気に暢気に暮らすと言うことだ。辛い頑張る自給ではない。そこに技術というものがある。

 のぼたん農園は互いの自由を重んじ、協働する。やれる者がやる。やってくれた人に感謝をする。疲れたら休む。互いを思いやり許し合える場所だ。しかしそういうことも互いに暗黙に理解して、口にも出さず助け合って暮らす場所だろう。

 田んぼ10枚は一応埋まった。まだ八重山農林高校の田んぼは実現できていないが、予定には入れている。私のやる田んぼが最後の10番であるが、どうしてもやりたいという人が居た場合には誰かに譲っても良いと考えている。場所は準備された。そして船乗りがそろった。

 24日が最後の5番の稲刈りになる。この後は田んぼはひこばえ農法の研究になる。そして、農場の畑部分の整備を始めなければならない。畑の部分から石を取り除いて、大豆や小麦や野菜の栽培できるようにしなければならない。

 夏になり全体に草の繁茂がすごい。草もすこしづつは整理しなければならないが、水牛も暑くて、草のある場所に繋ぐことも出来ない。草刈りも暑くて無理には出来ない。今年の夏の暑さは例年より2度から3度高い。雨が降り涼しくなるのを待つほか無い。
 
 雨が1ヶ月ほとんど降らないが、水は湧き続けている。有り難いことだ。一度稲刈りで渇かした田んぼに水を戻しているが、少ない水ながら順調に戻るようだ。本当に有り難い土壌だ。田んぼに水を徐々に戻してひこばえ農法の研究を続けなければならない。

 今やるべきことは技術向上である。1人が100坪土地で暮らせる自給農業の技術の確立である。石垣の土壌が田んぼであれば、何とかなることは分かったが、他の作物ではどうなるのかはまだまったく分からない。小麦が作れるのかどうかも今のところ未知数だ。

 小麦は熱帯向きではない。そもそも冷涼な気候を好むものだ。果たして石垣に向いている品種があるのかどうか。九州辺りでは「南の香り」向いていると言うことのようだが、果たして石垣の気候で可能なものかどうかとても興味がある。

 台湾でも小麦の品種が作出され、生産されているようだ。「台中35号」と言うらしい。こうした品種が手に入れば可能なのかも知れない。台湾は最低気温が8度くらいに下がるらしい。石垣島は13度くらいまでだ。小麦は難しいのかも知れない。

 石垣島で小麦を作られた方の話では、反収50㎏だったと言うことだ。これではどうにもならない。せめて200㎏はとれないと農業というレベルではない。大豆に関してもそうだが、今後品種をどうするかを探って行かなくてはならない。

 のぼたん農園に適合した作物を、のぼたん農園の自然に調和した栽培をする。適切な作物とその栽培方法を見付けないかぎり、のぼたん農園のイーハトブ―は見つからないだろう。

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