新聞の読み方

   



 今は八重山毎日新聞一紙だけ届けていただいている。朝、5時に届けてくれるので実に有り難い。といっても日によって遅い日もある。今はすぐに新聞を広げて、昨日のコロナ患者数を確認する。石垣島では昨日は46人の感染者。一向に減らない。本当に危機的状況にある。にもかかわらず、20日に蔓延防止を解除と言うことである。

 コロナ対応が失敗している。沖縄全体では減少してきているが、石垣島では一向に感染者が減らない。減らないどころか増えてきている。失敗しているにもかかわらず、市長は十分な対策によってコロナが抑えられていると、選挙カーで街宣していた。このままでは選挙でさらに増えるだろう。前回市長は宮古島の汚職で逮捕された前市長の選挙の応援で宴会に出て批判されていた。

 小田原に住んでいたころも、八重山毎日新聞は定期購読していた。新聞を読んでいると、石垣島の情報がよく分かり、このコンサートに合わせて石垣島に行こう。熱研の研究発表会に合わせてゆこう、などと計画を立てて夢を膨らませていた。これが何とも楽しいもので、石垣島に引っ越す決め手になった。

 御陰で、石垣島に引っ越す前から、石垣島生活での必要な知識は充分に持つことが出来た。「視野は世界 視点は郷土」というのがこの新聞の方針として一面上部に書かれている。確かにその通りで、日本中の新聞がそういう物であって欲しい。八重山毎日新聞が無ければ、石垣島は指針を失うだろうとさえ思う。

 地方に移住を考える人は、まずその地方の地方紙を購読すると良いと思う。その地方の空気が新聞から伝わってくる。石垣島に良い新聞があったことは幸運なことだった。残念ながら市長がこれほどひどいとは来てみて分かったが。何しろこの市長は小田原市の加藤市長の市政演説を丸写ししたぐらいの人だ。

 島の行政というものは汚職をしやすいものだ。その監視が充分されないと必ず汚職をすると考えておいた方が良いくらいだ。島という小さな世界に大量に公金が流れ込んでいる。多くの島が公共事業で成り立っているからだ。人間関係が濃いから、汚職が起こりやすい環境の中にある。市長は汚職を生み出す業界から選出されている。

 今回、隣町の竹富町の町長が汚職で逮捕された。石垣島市長とは盟友である。1年前には宮古島市の前市長が逮捕された。この3人は自民党の同じ穴の狢では無いか。私は石垣市でも同様のことが起きていると想像している。なぜならば、あり得ないような自衛隊の誘致や、あり得ない自然破壊のゴルフリゾート、あり得ないスーパーシティー構想、あり得ない珊瑚礁の海へのポンツーン浮島の建設。

 次々に民主主義を逸脱した形で市長が先導して、誘致が行われている。問題なのはその理由の説明が一切ないことである。古くさい手法の土建的観光開発。そして市有地が勝手に提供されている。こんな馬鹿な話はないと、住民の若い人達が立ち上がり、住民投票をしようと言うことになった。ところが、3人に一人が署名して要求しても、これも拒絶である。そして、その根拠となった住民投票条例を削除してしまった。

 その流れを見ていると、何か背後に利権構造の後ろめたいことが存在しているとしか思えない。証拠も無いのにこういうことを書くのはいかがかとは思うが、やましいことが無いのであれば、住民に詳しくその事業の恩恵を説明をすると思うのだ。ところがどの計画も説明は一切無い。国の専権事項に口は出せないなどと、デタラメな言い方で説明もしない。

 新聞は大抵の新聞を一通りネットに出ている範囲で読む。最近は記事の前半だけが読めるようにしてある。おもしろくなってくる辺りで、有料読者のみになる。最初はこれが不愉快だったけれど、今ではそれくらいが丁度良いと思っている。肝心の所は自分の頭で考えることができるからだ。

 お金を払って読むのは八重山毎日新聞だけで十分である。あとはネットの新聞の見出しをちょっとを読めば、十分すぎるくらいである。ネット新聞では報道は現在何を着目しているのかが分かる。新聞が関心を持っていることが分かる。これは確認したい。調査報道を探している。

 この興味を引きそうな前半部分を書くという妙な文章構成が新聞の今時の文章になっているのだろう。こういう文章の書き方では、調査報道どころではないだろう。ネットとお金が結びつくと、何もかもゆがめられてゆく気がしてならない。必要な良いものが歪まないですむ社会にならなければならない。

 新聞が本当の意味で調査報道をしているのであれば、警察とは違う形で問題を取り上げることが出来るはずだ。沖縄列島に自衛隊基地の配備を進めていることと、アメリカの対中国の軍事戦略の関係である。必ずアメリカに指示をされて行っていることだ。それが日米安保条約である。この闇に光を当てるが、調査報道では無いか。

 沖縄列島に敵基地先制攻撃ミサクルを配備して、沖縄を犠牲にしてアメリカを守る軍事作戦である。離島の住民の命を人間の盾として使う作戦である。こんなデタラメな作戦に宮古島市長は汚職をして従った。石垣島市長中山氏も同じではないかと、そうでなければ市民の命をこれほど軽視するはずがないと思う。

 今どんなことが新聞には掲載されているのかが分かればそれでいい。コロナ報道で、新聞というものはコロナに関して主張が無いと言うことがよく分かった。科学的な知識と見識が不足しているのだろう。日本が鎖国を未だに溶かないことは非科学的なことである。新聞には鎖国は終わるべきだと、科学的に指摘する能力がない。

 資本主義経済の限界がこの辺りで現実化している。アメリカでも民主主義がトランプ主義に変わった。さすがに余りにひどいので揺り戻しが起きたが、アメリカの民主主義もかなり危ういところに来ている。競争主義の限界が独善政治になったのだ。

 一方、ロシアのプーチン、中国の習近平は権力を一人に集中させ、民主主義を後退させている。報道を見てみるとよく分かる。権力批判をすると逮捕されたり、殺されたりしている。どれほど良いと思われる政策であるとしても、かならず3分の1くらいの人は反対するのが、人間社会の普通のことだ。

 反対意見がどのような形で尊重されるかが民主主義の大切なところだ。反対意見を言えないというのは一番悪い。反対意見を取り合わないというのは次に悪い。反対意見をこそ十分に審議するのが、民主主義だ。賛成意見はそもそも議論する必要が無い。

 新聞のことだった。今の新聞は見出しぐらいしか読む価値がないものが大半である。調査報道がほとんど無い。多くの報道が保守化している気がする。少数意見の権利を報道が保障しなければならない。ところが、少数意見を採り上げていては商売にならないと、報道まで考えているのでは無いだろうか。

 報道にも経営はある。たぶん新聞も、テレビもその経営によって間違ってゆくのだろう。社会を先導する役割を失うのだろう。行き詰まる競争主義社会は経済競争で何もかもをだめにしていく。自分たちでその枠の外に行くほか無いのだろうか。


 

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