藤井壮太5冠はアマチアの将棋を変えた。

藤井聡太の将棋は実に面白い。時々ユーチューブの中継を見る。今の将棋の中継はコンピュターの次の一手予測や、形成の良し悪しのパーセントを画面に載せるてくれるので、アマチア5段であるが、その程度でもかなり楽しめるのだ。藤井聡太は将棋を一転させた。
アマチアには難しくなった。定石とか将棋の格言などが、一切通用しなくなった。将棋の考え方自体が変わってしまった。藤井将棋はアマチアには難しすぎる。読みが中心の将棋なのだと思う。一般論ではなく、いつも特殊解を求めているのだ。
以前は羽生将棋が面白かった。良く言われた羽生マジックと言われるような将棋だった。羽生までとその後で将棋は思考方法が変わった。大山将棋に代表される60年前の将棋は定石で始まり、将棋の考え方の基本があった。将棋共通の思考法があった。私は古い大山流で将棋を覚えた。
まずは王将を囲うことになる。次に有利な中盤戦に導き、攻めは準備を整えてから始める。将棋に正しい考え方のようなものがあったのだ。その正しい考え方を覚えて、考え方に基づく王将の囲い法をあれこれ覚える。序盤の定石をすべて覚えなければならなかった。
そのために振り飛車なら振り飛車、居飛車なら居飛車と各々の得意な戦術を決めた。そうしなければ、定石を倍覚えなければならないからだ。中盤戦まではほとんど考えることもなく進めるのが、アマチアの将棋であった。一応の駒組をするまでは同じことなだった。
それを変えたのが羽生将棋だった。羽生将棋はそれまで定石と思われたもの、問題点を発見してその先にマジックの罠が待っている。だから、相手が定石だから悪くなるはずがないと持って進めてゆくとまさかという手が現れる。これが羽生マジックである。誰しもが常識だと考えていた手順や考え方が、実はそうではなかったと、様々な場面でマジックを披露した。
これが素晴らしいハブの頭脳で、次々に開拓されたのだ。その手段に翻弄される将棋の姿は実に斬新で爽快なもので、一遍でファーンになった。羽生永世7冠の将棋はコンピュターの創成期の将棋で、コンピュターのソフト開発に協力もした。羽生時代はコンピュターソフトがハブを超えることで終わったともいえる。
そこに登場したのが藤井壮太将棋である。定石の問題点どころか、従来の定石というもの自体を無くしてしまった。将棋の考え方をことごとく変えた。あくまで驚異的な読みに裏付けられる。驚異的な読みの速さがまるでコンピュターのようなのだ。だから、それまで将棋の考え方を覆しという事になる。
様々な将棋格言がある。相穴熊では角より金。遊び駒を活用せよ。居玉は避けよ。一段金に飛車捨てあり。一歩千金。内竜は外竜に勝る。馬の守りは金銀三枚。王手は追う手。桂馬の高飛び歩の餌食。大駒は近づけて受けよ。玉の早逃げ八手の得。玉の守りは金銀三枚。玉は下段に落とせ。玉飛接近すべからず。まだまだある。
しかし藤井将棋の登場でどの格言も通用しなくなった。だから、将棋の専門家ほど、衝撃を受けたはずだ。格言に従えば、そこそこ無難なはずが、格言に従う事が普通に敗着になるのだ。今はもう格言など気にしてはならないという事になっている。
素人を格言で指導していた将棋の先生は、どんな気持ちかと思う。今でもアマチアレベルなら格言で刺した方が良い。など言ってるのだが、たぶんアマチアと言えども、そういう事ではないと思っている。藤井後は指導法が無くなったのだ。先生がだめという手が、良い手にいくらでもなっている。
定石がないと言ってもも、ちろん藤井5冠が指す手段が新しい定石になっている。藤井5冠は新手をかなり指すので、新定石をいつも開拓しているともいえる。まだ藤井格言は出来ていない。藤井将棋はいつまでも格言は出来ないかもしれない。それくらい違和感がある。
これがまるで私からしてみると感覚が壊される。それもあってもう将棋は指さなくなった。今は飛行機に乗っているとき、ソフトと指すぐらいだ。ソフトはまだ旧来の指し方をしている。今は将棋を指す時間がないのでこれで丁度良い。しかし、藤井将棋を見るファーンである。
どういうものか知らないが、ユーチューブでは終わるとすぐに棋譜が公表される。そして解説もしてくれる。その解説もソフトの裏付けのある見方なので、実に奥が深い。今羽生と藤井の王将戦が行われている。藤井王将の2勝1負である。この王将戦は語り継がれる時代を表すものになるだろう。
一度失速して年の勝率が5割を割っていた羽生永世7冠が、ハブ将棋を根本から変えることで、もう一度強くなったのだ。これは普通のことではない。さすが天才棋士羽生である。そして再度強くなった羽生が、藤井将棋と王将戦で対決することになった。
3戦ともよく見たわけだが、これほど内容が濃い将棋はない。両者の読みの深さが半端じゃない。今藤井に次いで強いのはハブではないかと思う。タイトル戦で藤井に勝てる可能性がある、唯一棋士が羽生だとおもう。羽生はタイトル100をかけての戦いである。このタイトル戦の桁外れの経験がものをいうのかもしれない。
羽生と藤井の違いはもう一つある。羽生は将棋の盤面を頭の中で動かしながら何万手も読んでいるという。藤井の頭には将棋の盤面はないのだそうだ。あくまで棋譜を読んでゆくという。もうこの領域は私には理解が出来ない。どうすれば棋譜で読めるというのだろうか。
まさに棋譜で読むというのはコンピュターソフトである。盤面で考えない将棋指しがこれから増えてくるのだろう。将棋を見る楽しみはまだまだ続きそうだ。決してコンピュターの登場で将棋が廃れるという事はないようだ。
コンピュターゲームというものは全く知らないのだが、将棋や囲碁に匹敵するような頭脳ゲームは登場しているのだろうか。なんとなく反射能力が試されるもののように想像している。囲碁将棋を超える頭脳ゲームが生まれる可能性はあるのだろうか。
当然あるのだと思うが、それは何十年か先の事になるのだろう。ゲームをやることで思考能力が高まるようなゲームが出てくるはずだ。それは新しい時代に求められる、思考方法を鍛えるものになるのだろう。将棋と囲碁では頭の使い方が違う。
囲碁は彫刻家向きで、将棋は絵描き向きだ。と言われている。なんとなくわかる気がする。将棋で読んで行く感じは何か絵を読むという事に似ている。然しそれは大山将棋までで、藤井将棋は抽象画なのかもしれない。読んでゆくときに拠り所になるものが違うようだ。