コロナの誤解と次の感染症の準備
新型コロナ感染症が、たいした病気ではなかったという論調が、今になって広がっている。立ち上がりの失敗を蒸し返したところで無駄な反省である。WHOや世界の各国の政府が間違えたのは当然であることと考えなければならない。
未知の感染症への対策というのは、最悪の事態を想定して考えなければならない。安易な予想があたる場合もあるが、悪い方へ外れることもあり得る。いずれ結果論ではどうしようもないことなのだ。新型コロナはまだ良い方だったのだ。
これからも元の暮らしに戻れば、感染者数はある程度増減があるだろうが、今となれば自粛すべき人は65歳以上に限定するべきだ。年寄には危険な病気と言うことだけがはっきりした。しかし、一部の人を除く若い人には風邪と大きくは違わないと言うことも見えてきた。
すべての病気はそうしたものである。昔から風邪は万病の元という。すべての感染症は過去の感染が影響をしている。エイズであったとしても、エボラ出血熱であっても感染しても発病をしない人もいるのだ。様々なウイルスに感染を繰り返しているのが普通の状態の人間である。
それは新型鳥インフルエンザが流行した養鶏場でも、健康なままの鶏がいたことでもわかることだ。自然界というものはそうして生き残るもので保たれてきたはずである。つまり、様々な感染が繰り返され、自然免疫を形成できたものだけが、今地球に存在している。
人間は衛生的になりすぎたのだ。しかも弱いものが淘汰されず生き残っている。そのために未知の感染症には極めて弱い生物になっている。鳥インフルエンザでは改良された、大規模養鶏の鶏ばかり感染したことと同じである。
ところが私の所の養鶏場のように、自然の中で病気に感染させながら、作出した笹ドリを使っていたために、感染が広がらなかった。一切ワクチンを使っていないのだが、家畜保健所が抗体検査をすると、いくつかの抗体が出来上がっていた。本来の自然養鶏とはそうしたものなのだ。小さく自然環境の中で鶏は飼うものだ。
それは人間も同じことなのだ。「きれいは汚い。汚いはきれい。」衛生管理の行き過ぎは、弱い人間を作り出してしまう。抗菌も良いが、そうした環境に暮らしていれば、大きな病の危険は増している。インフルエンザのワクチンを打ってもらったのでもう安心という人間は、型の違うインフルエンザにはたちまちにやられる。
ところが日ごろから、様々なウイルスに感染している人間は案外に感染しても軽くすむ。今回の新型コロナはそうした疫学的に様々なデーターがそろった。何故、東アジアでは死者数が少なかったのかは興味深いことだ。
それは似たような感染症が過去にも気付かず起きていたと考えることが自然である。交差免疫と呼ばれるものだと思う。兄の友人のベトナムからの留学生がベトナムに帰るとお腹を壊すと言っていた。日本の衛生環境に慣れた身体には昔のベトナムの環境は厳しかったのだ。
感染症が広がったときに、政府が最悪の事態を想定して対応するというのは当然のことであった。しかし政府によって対応は様々であった。どんな対応が良いかはそこから導き出すべきだ。最初の対応は今回のコロナではどこの国も対応を間違えた。台湾が一番模範的だったのだろう。強制力も無く、自主的な制御でコロナを押さえ込んだ。
可能性としては台湾、ベトナム、中国、朝鮮は過去に多様な感染症の経験があるのだろう。日本も多分そうだ。これは幸運なことであった。次に起こる感染症が幸運なものであれば良いが、まずそう言うことはないと思わなければならない。
至急変えなければならないことは学校の自粛解除である。相変わらず学校を閉鎖しているところがあるのは、間違った対応である。若い人は感染してもインフルエンザ以下のリスクである。一部の重症化した人の事例で、全体の判断を誤ってはならない。
インフルエンザと同程度の対応にすべきだ。感染したら治るまで学校に来ないぐらいで良い。学級でクラスターが起きたならば、学級閉鎖をすればいい。教育の重要なことは格別なことだ。教育を失えば、病気で失うものより大きいかもしれない。
いつまでも教育が滞っていて良いわけがない。完全な安全などあり得ない。一定のリスクを覚悟で教育は行うべきだ。教育が再開できないと言うことは、責任の所在が不明確だからだろう。学校が経営とか、教育者の立場とかを優先し、生徒をないがしろにしていることになる。
大学などで教員で65歳を超える人がいたらば、当分、授業は遠隔授業のみにする。大学教育は一日も早く元に戻すべきだ。そして、必ず又感染が増加することを覚悟することだ。覚悟して、医療機関の崩壊だけは起きないようにする。中等症状以上の患者のみ入院処置にすれば良い。
幸いなことに日本人にとっては70歳以下の人には、普通のインフルエンザ程度のものであると言うことだった。だから、経済を自粛させたのは間違えだったと言うことではない。世界では300万人も死者が出ているのだ。日本だって何十万人が死ぬような可能性はあったのだ。
今回のコロナ感染症が、結果的にインフルエンザ程度だったことは単なる幸運である。必ず、遠からず、次の道の感染症は起こるのだ。次に起こる感染症は今回より病原性の強いものの可能性だってある。
起こる前提で、どう対処すれば良いか、今回の幸運なコロナを教訓にしなければならない。教訓は次の感染症のためでもあるが、先ずは今回のまだ収まりきらないコロナにも生かさなければならない。
今回のコロナは老人には深刻な病気であった。老人が自粛を徹底する。老人はそもそも経済には大きくは関わってはいないのだから、自粛したところで経済は困らない。老人が感染しなければ、医療機関も大分楽だろう。そうやって老人自粛を続ければ、一定コロナも社会的な免疫が出来るときが来るだろう。
ワクチンは余り期待しない方が良い。インフルエンザのワクチンと同程度のものしか出来ないはずである。ウイルスの変異も起きてくるだろう。人間の暮らし方を変えざるえないほど、人間は老齢化したし、虚弱化したのだろう。
東京オリンピック開催のためでもある。それまでにワクチンが使える可能性はほとんど無い。感染がコントロールできなければ東京オリンピックは出来ない。懸命に努力している選手には申し訳ないことだ。何とか開催するためには、老人が節度のある暮らしを続けることだ。