水彩画パレットの話
写真は二つのパレットである。上のプラステックパレットで絵の具を溶いている。下がニュートンの陶器性のパレット。このくらいの濃度で描く。筆はレンブラントの太いコリンスキー。下の写真にたまたま写っている画面が、その薄く溶いたコバルトグリーンで、ファブリアーノの紙に描いた調子である。
水彩画のパレットはプラステックの真っ白のものか、磁器性の白のものが使いよい。水彩パレットは白でなければ成らないのは当たり前のことなのだが、これが白でないパレットもあるから驚く。紙だってわざわざ着色された紙で描く人がいる。表現は人それぞれである。
多くの人に水彩画の使いやすい道具を紹介してきたが、それで変えた人はまずいない。絵を描く人はそれくらい今やっている自分のやり方から抜け出ることが難しいのだ。パレットを変えたらと思うことは何度もあるが、直接言ったことはない。
水彩を始めて以来白いプラステックのパレットを使ってきた。余りに使いやすいので人に時々勧めてきた。しかし、案外にプラステックパレットは広がらない。たぶん安すぎるので不安になるのだろう。100円ショップでも売っているぐらいだ。
専門家用パレットというアルミに白い塗料を焼き付けた、パレットが一番普及しているのだろう。「君のパレットを使い良さそうだね。」と言ってくれたのは春日部洋先生ただひとりである。春日部先生は実に技術の優れた人だから、プラステックパレットの良さをすぐに分かってくれた。
どんな領域でも、専門家用などという言葉がいかにもプロ仕様と言うことになる。他人が持っていないような筆を自慢する。私は筆自慢だからよく分かる。世界で一番多く筆を持っている水彩画家で間違いないだろう。一つのライフィングビューローに入りきらない。良さそうな筆はすべて試したと言えるほどだ。
筆の蘊蓄は又にしたいが、一言だけ書けば、一本の筆で水彩画を描いている人が案外に多い。絵を見れば分かる。表現が単調になる。単調であることが意図であれば良いが、表現内容も単調ということが多々起こる。
今回はパレットだ。
水彩画のパレットは絵の具を薄く溶く、たっぷりと水で溶く。水に色がついたと言うぐらいでも描く。かなりの水たまりが必要なので、油彩画のように真っ平らなパレットというわけにはゆかない。その水たまりの絵の具の濃度がとても重要なので、透明度が分かりやすい白い色でないと困ることになる。
半透明のパレットや金属色のものあるのだが、あれでは色の濃度は判別が出来ない。水彩画は薄い着色層を塗り重ねて色を出して行くものである。このことを教えていただいたのも、春日部洋先生である。「薄く、うすく、塗り重ねないとね。」こう言われた。
薄く紙がすけるような透明感が水彩画の一番の特徴でもあり、他の画材では出来ない表現と言うことになる。その調子に惹かれて水彩画を描いている。水彩画の明るさは紙の白を透過させて表現する。紙の白が見えなくなるほど、色を濃く厚く塗るのでは、水彩画としては普通の表現ではない。
ところが日本の伝統的な水彩画はガッシュ絵画というようなものである。中西利雄氏の水彩画と称する技法書は優れたものだが、それは水彩画技法と言うより、ガッシュ画技法書である。日本では不透明水彩画というような不思議な言葉さえ生まれた。それなら、確かにパレットは白でなくともかまわない。
何で水彩絵の具で絵の具を盛り上げるほど塗るのかと思うが、そういう水彩画ではない水彩画の人も案外に沢山いる。盛り上げるほど塗るなら、油彩画か、アクリル絵の具で描けば良いのだ。わざわざ水彩絵の具を使う意味がわからない。
そうした不透明の厚塗り表現を中心に行うのであれば、油彩画の方がはるかにやりやすい表現と言うのは当たり前すぎる。ところが何故か日本の水彩画の主流となる表現が不透明水彩であった。中西利雄氏の影響が大きいのかもしれない。優れた絵だとは思うが、水彩画の素材の魅力はない。
そうした不透明水彩と言われるような意味不明の言葉で位置づけられる水彩画の作品は実は、区分すら不可能な、ジャンルすらないもので、すでに美術史の中では消滅しかかっている。不透明水彩などと言う特殊な言葉があったので、日本ではわざわざ透明水彩などという言葉さえ出来た。
何故か明治以来水彩画だと感じる作家は浅井忠くらいである。浅井忠は油の作品も描くので、盛り上げるような表現が必要なときは油彩画で描いている。水彩画は紙の白が色に反映するように描くのが当たり前のことだ。
そんな屈曲したような歴史を水彩画はたどったために、一流の作品というものが極めて少ない。こうした回り道を描いているのだからまともなパレットが広がらないということになる。そうパレットは水が充分に入るプラステックのものが良いという話だった。
先日水彩画でのパレットの選択について、ウエッブ検索をして調べていたら、なんとプラステックパレットは白い色に絵の具の色が着色してしまうので、良くないという説明が出ていた。まだこのように本当に水彩画のことが分かっていない。パレットを染めるような染色系の絵の具は使わないことだ。
良い絵を描くためには真っ白なプラステックパレットである。色を出すボックスのかずは12ぐらいで十分である。中には24色絵の具が出せるなどと言うのがあるが、これでは描きづらくて私には使えない。12色あれば、どんな色でも表現できる。組み合わせればあらゆる色が出せる。
12色以上必要ということは、色の混色をしないで、混色がすでにされた2次色や3次色までパレットに置いていると言うことだ。これは水彩画の透明性を失わせる大きな原因になる。できる限り彩度の高い、顔料単体の絵の具に限ることだ。絵の具の選択ではこの点が重要だ。
色は常に水で薄く溶くのだから、大きな面積が必要になる。そこで、特に水で薄める色については、陶器製の六センチほどの皿を五つ使っている。小さなパレットの色と同じであっても、セルレアンブルーやコバルトブルーなどは大きな皿で溶きたい。
そのほかの色はプラステックパレットにだしておく。プラステックパレットが色に染るような染料系の、悪い絵の具を使ってはならない。パレットを染めるだけならまだしも、描いた絵において他の色を染めているのだ。染料系絵の具はそもそも紙も染めるし、他の色も浸食する。つまり染料系の水彩絵の具はよほどのことで無い限り、使わない方が良い。
ついでに言えば印刷をする絵本の人やイラストを描く人で、カラーインクで描く人もいる。インクには染料系のものが多い。インクで描けば後で変化が激しいことになるが、描いたその時には色は美しい。だから印刷をすることが前提であれば、その意味では問題が無い。