次のコロナウイルスに備えて
石垣島では観光業が自粛を終了し、再開が言われている。予測したとおりだが、自粛にも科学性がなかった以上、再開にも科学性が余り感じられない。相変わらず市の広報カーが自粛を呼びかけて走っている。どのような根拠を持って市民を恐れさせているのだろうか。
離島の医療体制が弱いと言うことで、来島拒否まで行われたのは、結果的に間違いであった。学校の休校なども行き過ぎた間違いである。確かに初期段階では未知のウイルスであったし、海外の状況から過剰な対応がとられたのもやむえないが、一日も早くコロナウイスルを科学の目で見なければならない。
集団免疫どころか、石垣島5万人の内、抗体がある人はたぶん4人だけの可能性が高い。コロナウイルスの感染力はその程度のものなのだ。恐怖に科学的判断を行政が失った。そうは言っても、来島者の受け入れ禁止をいつまでもしているわけには行かない。自粛を解除して観光客が来れば、感染の可能性は確かに増える。しかし、正しい対応をすれば感染爆発は起きない。
院内感染や老人施設内感染が第2波に対しては恐れなければならない。関係者の定期的なPCR検査を行うべきだ。これで安心感が全く違ってくる。また、夜の濃厚接触飲食店関係者もPCR検査を行う。費用は行政が負担すべきだ。
ソフトバンクの抗体検査では約4万人を対象に実施して、新型コロナウイルスの感染歴をみる抗体検査の結果抗体を保有していた陽性率は0.43%だった。東京都の調査とほぼ同じである。石垣島は0,01%と言うような状態と予測される。簡単に感染するような病気ではないと言うことである。
自粛していたとはいえ、パチンコ屋も風俗関連もそれなりに営業が続いていた。電車を止めたわけではない。PCR検査の遅れが言われていたが、医療崩壊を避けられたという意味で、結果的に良かった。結論として感染はそれほどには広がっていないと言うことなのだ。この点を科学的に考えて貰いたい。
石垣島の恐れ方は異常なほどと思える。市役所の車がいまだ注意喚起で回っていた。駐車場など相変わらず綱が張ってある。潮干狩りが危ない。一切の外出が危うい。たった4人の感染者でしかもその人はすでに回復したのだ。感染者が島中に広がっていると行政は不安を振りまいていた。
の不安を広げた責任を謝罪して貰いたい。何か科学的根拠があるかと言えば、全くない。抗体検査はもちろんしたわけではない。恐怖が恐怖を増幅させ科学性を失っただけである。行政の判断ミスが、大きな経済的損出を招いた。
石垣島の高校生などは一気に解放されてはしゃいでいる。それは当然のことだし、危ないことはどこにもない。若者は心配いらない。感染したとしてもインフルエンザよりも心配がいらないレベルだ。明らかに若者にはインフルエンザ以下の死亡率だ。ワクチンなど無くても、薬など飲まなくても大丈夫なレベルの病気だ。
科学的に対応するなら、もうしばらくの間の70歳以上の外出禁止である。後の人達は自粛解除で普通の生活に完全に戻ることだ。70歳以上の人の食料の宅配など行政が対応すればいい。スーパーも宅配をしているから、70歳以上に優先的にわかりやすく行えばいいだろう。
日本では集団抗体などほど遠いい状況である。大阪でも広く抗体検査をするらしいが、抗体のある人は0,5に満たないであろう。つまり、また感染が再開する可能性は高い。70歳以上の年寄には何も状況は好転などしていないのだ。70歳以上にはワクチンができるまでは恐れるべき病気ではある。
石垣島が観光を再開するには、年寄はできる限り出歩かない。これ以外にないと思う。若い人は普通に暮らしていいだろう。そうしなければ経済で行き詰まる。若い人も年寄りとの接触は避ける。ここ1年はこれしかない。お祭りなど60歳以下の若い人だけで行い、70歳以上の人は避けるほかない。
そして行政は必ず次の感染が起こるという前提で考えるべきだ。病院にはコロナウイルス対応のベットを最低でも10床は増床する。人工呼吸器など医療機器もそれに応じて準備をする。対応する医療スタッフも新たに雇用する。マスクや感染防止の備品は十二分に備蓄する。これはたぶん出来ないことなのだろう。そうである以上老人の外出禁止以外にない。
コロナウイルスのことを見ていて、70歳以上の人は感染を恐れなければならないが、60歳以下の人はそれほど恐れる必要はない。そして、70歳以上の人でも、正しく恐れて行動すれば、感染をすることはない。野外での感染はまず事例がないのではないか。パチンコ屋での感染が起きていない。関西の状況を見れば分かる。
日本では感染者に出合う確率は極めて低い。0,4%の感染者がいたのだから、潜在的にそのくらいの人が人に感染を広げる人だとしても、滅多なことでは感染をしないと考えていい。たぶん宝くじと同じくらいだろう。しかも偶然どこかで出合ったとしても、日ごろから人との接触に用心していれば、感染することはない。直接人に触れない。2メートル距離を保つ。大声で話さない。マスクをしている。人の居る密室には入らない。できる限りものに触れない。たとえ、駅の切符を買うにしても、タッチパネルに触らない。Suicaである。
そのように考えれば、石垣島では感染リスクは極めて低い。あれだけ中国人が来ていた時でも感染者は一人もいなかったのだ。そう簡単に感染するものでもない。ともかく狭い寒気の悪い場所に感染者といるという状態さえ避ければ、まず大丈夫だ。
ウイルスの変異には様々な要因が考えられるが、3つ有ると思っている。今後も変異し人間を襲うはずだ。ひとつは自然環境の変化である。マイクロプラステックを初めとする合成化学物質が自然界を覆い始めている。こうした未知の物質を取り込むことでウイルスの変異が盛んになる。
二つ目は大規模畜産である。同じ動物を閉じた環境で何万頭も飼育する。自然界には無かった状況である。そこに登場するウイルスは感染の連鎖が一気に起こすことになる。しかもその大規模畜産場の環境は消毒と様々な化学物質が蔓延した環境である。ここで生き残り感染を繰り返すウイルスは、強毒に変異する可能性が高い。
三つめは人間状況の変化である。人間自体がウイルスに弱くなり始めている。今回のウイルスも70歳未満の人にはインフルエンザ程度の感染症である。ところが80歳以上にはSARSやエボラ出血熱レベルの病気である。つまり、老人が増えたのだ。加えて人間の淘汰現象が減少し、体質的に弱い人類が出現している。
以上の3つの要因で、新しい感染症が次々と出現してくる。だから、今回の新型ウイルスは前回の2004年高病原性鳥インフルエンザの時には養鶏業者として様々な発信をした。その危機感がこのブログを始める契機になったのだった。出現を繰返し予告して来たとおりの今回の新型ウイルスの出現になった。
鳥インフルエンザの時には中国の大規模畜産に原因があった、中国の大規模養鶏場の問題が無視され、放し飼い養鶏が禁止されることになった。本来行わなければならないのは大規模養鶏の禁止である。実際に日本で感染が起きたのは大規模養鶏場だけである。ところが政府はこの機会に、小規模な畜産を不衛生なものとして、廃止を進めた。
政府のとった対応は全く逆であった。違法であっても私は放し飼いを続けていたが、同じ集落の方から、白眼視されるようになったことも養鶏を止める契機になった。警察のパトカーが養鶏場に現われるようなことで、住民の不安を煽ったのだ。
すべては国際競争力のある、大規模畜産を目指す政府の方針に沿ったことだ。しかしその方針は今回の新型ウイルスの出現につながっている。どうせ政府は認めないだろうし、国際競争力一辺倒に違いない。国民もコロナウイルスも終息すれば何の対応もしないで忘れるだけだろう。
もともとコウモリが持っていたコロナウイルスがハクビシンやセンザンコウなど野生の中型哺乳類に感染して人ひと感染をしやすい形に変異を起こした。そこからヒトに感染可能なウイルスに変異したこはほぼ確定的だ。
インフルエンザの場合は、もともと水鳥が持っているウイルスが、大規模養鶏場に入り、感染の連鎖を繰り返す中で、変異したウイルスである。ただし、これは特殊な事例を除きヒトヒト感染はしなかった。ところがこのウイルスが、養豚場に入ると豚の中で変異し、ヒトヒト感染するいわゆるインフルエンザの流行が起こる。
しかし、新型ウイルスの登場する3つの要因は変わらない。つまり、必ず次の新型ウイルスは必ず又登場すると言うことである。しかも今回の感染の広がりを見れば、たちまちに世界に伝播する事は確実である。その時の対応を今回の経験から考えて準備をしなければならない。
日本の感染症対策も期待できない。とすれば、それぞれが暮らし方を変えるほかない。幸い日本は人口減少が進み、過疎地が広がっている。過疎地に自給的に暮らすという選択肢が生まれている。それが自己防衛だ。過疎地ではこれを好機として捉えるべきことだろう。
都会での暮らしはさらに困難になるはずである。テレワークについては今後広がることが予想される。テレワークが取り入れられない企業は国際競争に取り残されるからだ。少なくとも過疎地での自給的な暮らしを選択するとして、テレワーク可能な能力は必要である。
どうしてもコロナについて書くと長くなってしまう。もう少し短く書くようにしたい。