日本人の民度とは何か。
コウトウシラン 次々と花芽が来ている。石垣の気候に最も適合した蘭なのだろう。驚くべきことに半年以上花が続いて咲いてくる。花が咲いてくれていることは楽しみなことだ。この系統の花はハワイで様々交配がされたようだ。少し違う物も探してみようかと思う。
麻生氏によると日本人の民度は高いらしい。それは別段間違いではないと私も思う。しかし、民度が高いから、コロナウイルスの感染で死者が少なかったという考えはおかしい。日本人はコロナに対して異常なほど恐怖心を抱いたと思う。すでに、日本が転がり落ちるような不安感の中にいたから、コロナが引き金になったのだと思う。
何やらこのままのはずがないという不安感が渦巻いていた状況に、コロナ感染が広がりついに崩壊が来たのかという、恐怖感が広がった。そして、コロナ警察が歩き回るような、監視社会にたちまちに入ってしまった。これが日本のコロナに対する社会的反応ではないだろうか。
しかし、麻生氏が日本の総理大臣だったのかと思うと、情けない限りだ。もう日本ははっきりとダメなのかと思う。人間としてのできが、デタラメである。他国が多数の死亡者で苦労している。発言してはならないことがあることが、分からないほど甘やかされた人なのだ。
こうした状況を生んだのは政治家の世襲制度である。政治家の世襲状態も日本の不安の一つである。アベ氏も同じでような境遇である。周囲から甘やかされた環境で育ってしまい、人の痛みなど全く分からないのだ。世襲制になる理由は既得権の死守である。一度できた構造を崩したくないというのが、今の日本人の多数派なのだ。守りに入った日本人だから、不安が増幅したのだろう。
麻生発言でさらに驚いたのは日本人の民度の高さを外国の高官に話すと絶句するというのだ。もちろん感心して絶句するのではない。こんなことを口にする人が副総理という国に絶句せざる得ないという事だろう。その点にはまったく気付かないで、自慢しているのだからどうにもならない。アベ氏と最悪のコンビである。
山中教授の言われる、死者数の少ないことには何かファクターXと言うような物があるだろうと言うことを科学的に考える必要がある。麻生氏によるとアメリカは民度が世界で一番低いから、感染死亡者も世界一と言うことになるのだろうか。アメリカ人が自粛が苦手そうだとは思う。
民度というのは分かるようでわからない言葉だが、一体何を表しているのだろうか。「民度とは国民や住民の生活程度、また、経済力や文明の進歩の程度。」と辞書的にはある。これはどちらかと言えば、後進国に対して民度が低いので病気が蔓延するというような使い方がされるものだろう。これも嫌な言い方ではある。
民度が高いので病気が広がらないというよりも、むしろ文明の進歩によってひとの交流が盛んになり、感染症が広がったと言われている。日本は文明の進歩から取り残されているとは思わない。その意味で、麻生氏のコロナウイルス認識のような考え方は避けた方がいい。日本の政治家には科学性とか、論理性よりも、親分的な度量のような物の方が重視される。自民党にはそういうタイプが実に多い。
経済や文明が発展し、人間が野生の領域に入り込み感染する。そしてその感染はたちどころに世界中に広がる。コロナウイルスは世界的な流行になったと言われていたのではないか。生活の程度の方は良くなっているのかどうか疑問だ。ブラジルやアメリカの流行は貧困層が感染の中心になっていると言われている。貧困層の蔓延が、国全体の感染へと波及して行く。階級のある社会では感染症対策は切り捨てになる。
コロナ対策に失敗したと思われる4つの国の共通点。アメリカ、ブラジル、イギリス、ロシア。共通点は大統領がトンでも人間である。科学性がまるで無い。ひとの言うことを聞かない独裁者。そして経済優先。命よりお金の人達ばかりだ。それは民度とは関係が無い。経済優先が感染を広げた事例だ。
日本にも自粛などする必要が無いと、うそぶいている人がいる。未知のウイルスに対する科学的な判断を放棄するひとである。コロナウイルスも当初の予測とはことなる物だった。広がる過程でこのウイルスの特徴が次第に明らかになっていった。判断は柔軟にとらわれずに行うことが科学的な対応である。
民度という言葉は私にはどうも、明治日本人の傲慢が、遅れたアジアを蔑むときに使ったような気がして嫌な言葉だ。それでもこの言葉を使う事がふさわしいような状況はある。日本人の劣化の哀れさを嘆くときだ。「カジノを誘致するほど日本の民度は低いのか。」というような使い方である。
まさか、民度の低そうな麻生氏からこんな言葉が出てくるという事は民度という言葉は民度の低い人が使う言葉らしいので、今後はたとえアベ氏を表す時でも避けることにする。アベノマスク配布がまだ石垣島まで来ないのは日本の民度が低いからなのか。等と言ってはならない。
絵の良い国は民度が高い国なのだと思う。芸術としての絵画は分かりにくい物だ。せいぜいお金になる絵がいい絵と言うぐらいが社会的な価値観だ。これは民度の低い絵画の判断である。民度の低い国はリアル絵画が流行する。ピカソやマチスは低い民度の国では生まれない。文化レベルの高い観衆がいなければ、良い絵画文化は育たない。
今の日本の絵画レベルを考えると民度は明らかに下がっている。文化国家日本は風前の灯火である。日本人に暮らしから育まれる物がなくなってしまったと言うことだと思う。暮らしが空洞化すれば、どうしても文化は育たない。日本にまともな絵画はほとんど無いと言える状態になってしまった。
しかし、これは世界的な傾向である。リアル絵画とイラストが絵画らしきものとして広まっているだけである。原因は商業主義である。商業絵画時代では売れる物が一応良い絵画とされるから、悪貨が良貨の芽を摘むのである。文化は衰退していると言わざるえない。
そうした意味では世界全体の民度が下がり始めているのだろう。新自由主義経済、あるいは国家資本主義の競争主義が広がり、自分さえ、自分の国さえ良ければいいという風潮が、世界各国の品格を下げている。
ファクターXは、アジア地域には新型コロナウイルスに対して何らかの免疫機能が広がっていたのではないかと思われる。このことは以前書いた。アジアにいる野生動物が原因しているウイルスであるから、過去にも広がった可能性はある。その時は感染を気付かないような広がり方だったのではないだろうか。
その過去の体験が交差免疫となり、今回のウイルスが強毒化しにくい要因なのかもしれない。もちろん、靴を脱ぐとか、握手やハグの習慣がないと言うこともあるかもしれない。しかし、日本には満員電車という感染しやすい状況もある。自粛の徹底もいくらかは効果があったかもしれないが、それよりも科学的にファクターXを考えるべきだろう。