アプリのみんなの囲碁をやっている。
オガサワラタコノ木の実
タブレットで「みんなの囲碁」というアプリをやっている。このアプリは2段レベルだという。この2段は昔の初段ぐらいだと思う。待ったありでやっている。待ったをすると勝つことが多いがあたりまえのことだ。勝たないと気分が悪いから、勝つまで待ったをするからだ。別段勝ってどうだと言うことでもないぐらいの私の囲碁のレベルだ。
学生の頃囲碁を少しやったことがあって、3級くらいだった。大学に囲碁室があった。そこに行って打ったことが何度かある。下宿の隣の先輩の人が囲碁部の人で教えるからやれと言うので無理矢理やらされて始めた。たぶん、打つ相手が欲しかったのだろう。
アプリだから何度待ったしても怒らないでくれる。待ったしているうちにどの考え方が悪いのかが分かるのかと思っている。待ったしないでも勝ったことは一回だけである。ただ、勝っているはずなのに、地の数え方がおかしくてどうしても負けと表示されることがある。アプリも時々間違えもするが、待ったをしないで投了をする。アプリにも待ったをして欲しいのだが、そういう機能はないようだ。
こう言う囲碁の勉強法にはあまりないだろう。別段他の人と囲碁を打って強くなりたいとおもって居るわけではない。人間と囲碁を打つのはやりたいとは思わない。人間と打つだけの時間もない。頭の体操と言うか、気分転換にはとてもいい。
気分転換に実に良い。コロナのことを考えていると滅入る。滅入るのは免疫力低下になる。考え込んで笑いを忘れたらダメだ。そういうときにみんなの囲碁をやる。集中して打っていると、イヤなこともどこかに忘れている。
何故、無料で使えるのかよく分からない。宣伝が入るからその広告費ということがあるのか。あるいはだんだん強くなるとこの無料のアプリでは物足りなくなり、一段強い有料のアプリでやりたくなると言うことなのだろうか。
たぶん有料アプリと言うより、もう少し強い無料アプリを探すと言うことになるのではないか。私は必要がないので探したことがないが、探せばあるような気がしている。実はその昔、そういう囲碁ソフトを買ったことがある。
ところが有段の実力とか言う宣伝で騙されて買った。日本棋院認定というようなことがあった。ところが打ってみたら弱い。私が弱いと思うのだから、5級以下だと思う。それで苦情を言ったのだが、棋譜を送れという。棋譜を送ったがこんなものだという。これを有段者だと言うのでは騙されたと言うことだが、結局騙されて終わった。
将棋にもみんなの将棋というものがあるが、これはアプリの指す手が同じミスを繰り返す。弱点が分かってしまうので面白くない。勝つための手段が分かってしまったので、それをあえて避けて指すというのも面倒くさいので、まずやらない。もっと強いアプリもあるようだが、ダウンロードする方法がこれはよく分からない。
もちろん無料だからやるのだか、この仕組みが分からないから少し不安がある。有料なら強いものはいくらでもある。将棋でも囲碁でも、プロの棋士より強い。こんなことが生きているうちにはないと思っていたので、衝撃的であった。韓国の最強棋士イセドルがアルファー碁との戦いで負けた。世界最強のイセドルなら勝つだろうと誰もが思っていた。少なくとも日本ではそう言われた。
そして、さらに驚いたことはイセドルがアルファー碁に敗れて、囲碁棋士を止めてしまったことだ。李氏は「囲碁AIが登場したことで、必死に努力してナンバー1になっても、自分はトップではないことが分かった」それで36歳で引退したのは衝撃を受けた。イセドル氏にとって、囲碁を打つと言うことは最強でなければならなかったのだろう。
イセドルはアルファー碁に唯一1勝をあげた棋士である。何しろアルファーゴは他の棋士には負け知らずのまま引退した。イセドルからの1敗だけでアルファー碁も引退をした。囲碁界は、アルファー碁という最強の残していった一手一手を分析している。人間が自分で作ったコンピューターが残した情報を人間が分析し、人間が高い次元に行く。いつかは、人間が再度アルファ碁を上回る日が来ることはあるのだろうか。あるだろうと予測している人が居る。私はないと断言する。
もしあったとしても、コンピューターはそのときにははるかに強くなっているに決まっている。そのうち、無料のアプリでもプロキシが負けるようにすらなる可能性の方が高い。アルファーゴの思考方法はディープラーニングと言う思考法だという。その考え方を医療分野で生かすと言うことだったが、成果は出ているのだろうか。がんの診断で、画像を見て人間の判断できない状態でも判断できるようになるというようなことらしいがどうなったか。
自動運転の認識装置などで生かされているらしい。しかし、ディープランニングの思考法では、人間には役に立たない。人間が囲碁を打つときに使う思考方法は論理である。ああなればこうなるという計算である。それに加えてひらめきである。コンピューターのようにすべてを読んだ上で判断するのではない。
囲碁が強いからと言って、他のことに役立つわけでもない。将棋を指しても強いかと言えば、そんなことはない。囲碁が強いというのは囲碁にしか役立たない。囲碁好きは彫刻家に多く。将棋好きが絵描きに多い。と言われていた。たぶん梅原龍三郎が将棋が好きだったからだろう。
日本将棋連盟には幽玄の間という部屋がある。その幽玄という文字は梅原の字だと思う。調べたが確認できないが見た目そうとしか思えなが。梅原の字はすばらしい字だ。豪華な字だ。ああいう字は他の人にはかけない。梅原の油彩画もあるらしい。よほど将棋が好きだったようだ。
思い出したので梅原の絵の良さはたぶんもうすぐ誰にも分からなくなるだろう塗想像している。梅原龍三郎という人間の大きさにある。人間の大きさなどというのは実に曖昧な、東洋的な判断方法であるが梅原大人なのである。だから大人の風格が絵にある。としか言いようのない魅力なのだ。人間が絵に出ている魅力だ。絵が堂々としていて、まっすぐなのだ。うまく描こうというようなところがまるでない。
ピアニストの中村紘子さんを描くテレビ番組を観たことがある。弾いているところではない。軽井沢だったか、別荘の庭である。あの絵はどうしたのだろうかと思う。似ても似つかない下手くそな絵なのだが、堂々と描いている。升田幸三氏によると梅原氏の囲碁は実に豪快だと語っている。将棋にまで人が表われていたというところが梅原の絵の特別なところだ。
ディープランニングの囲碁はどんな性格と呼べばいいのだろうか。計算ずくの碁と言うことだろうか。囲碁のプロによると神のようだという。機械の打つ手に感動すると言うことが出来るというのもすごい。しかし、コンピュターが登場して、消えて行く職業に一つが棋士だとおもうが、どうなのだろうか。