八段錦は呼吸の筋力鍛錬体操である。

   

 

 石垣の空はすばらしい。この雲を描きたいものだ。すこしづつは進んでいる。絵の空を見て、思わず深呼吸してしまうような空を描きたい。空気の広がる空だ。私の絵が閉じられた独房の壁にかけられたとしても、心の自由を得られるような空だ。

 呼吸は命にとって重要なものである。大切なことであるにもかかわらず、呼吸は無意識なものだ。そのために弱ってきていることに気づきにくい。特に老人は呼吸を鍛える必要がある。年齢とともに呼吸は必ず衰える。肺活量を測定すれば呼吸年齢はすぐに分かる。呼吸の衰えから、すべての衰えは始まる。

 呼吸が浅くなると言うことは呼吸を司る筋肉の力が落ちてきたと言うことだ。呼吸は肺自体が行っているわけではない。心臓とは違って、肺自体に筋肉があってそれが閉じたり開いたりしているわけではない。だから、心臓を鍛える体操というものはないが、肺を鍛える体操はある。

 筋肉は何歳になっても鍛えて増やすことができる。良い運動を継続すれば必ず効果がある。私にはそれが8段錦だ。

 横隔膜の上下の運動と、肋骨周辺の筋肉の肋骨を動かす力を中心に呼吸は行われている。胸と腹が膨らんだり閉じたりして肺を動かしている。肺を動かす周辺の筋力を鍛えると言うことが呼吸を鍛えると言うことになる。

 ボディービルダーが鍛える筋肉を意識すると効果が高まるという。呼吸を鍛錬する場合もどの筋肉を鍛えるかを意識した方が効果が高まると言われている。意識するとそこに力が入る。身体の中の筋肉も同じだ。正しい呼吸体操が必要になる。

 唄を唄うのも呼吸を鍛えることになる。大声を出して、声を長く延ばして唄う。これはとてもいいことだ。だけれど無意識なために、訓練の効果は少ない。呼吸を司る筋肉を鍛える体操がある。古代中国でできた八段錦である。中国の古い時代にできた肺を鍛える体操である。私はそう思ってやっている。

 八段錦は気功法と言われる。私は気というようなあるかないか分からない物は好きではない。あくまで八段錦を肺の筋肉体操と考えている。全力で筋肉体操をすることで、気という物があるなら、その巡りもよくなるであろうという範囲で考えている。

 意味の捉えにくい気功と言うところから入ると、目的が曖昧になり幻術的になる。自分自身を信心させてしまう。それよりも、立禅と考えた方が私にはぴったりする。禅が中国で始まる時代に、八段錦は作られたと考えていいだろう。中国人のこういう所がすごい。現実主義でありながら、同時に観念的でもある。

 もしかしたら、道元禅師も八段錦をしたかもしれない。座禅ばかりしていれば、エコノミー症候群になってしまうだろう。立禅とか。行禅とか言うものもある。座禅の合間に歩く禅が行われる。

 凡人には座禅は難しい。行為に対して何も目的を持たないと言うことは、よほどの人か、植物のような人にしかできない。座禅は常識人にはむりだと思う。筋肉体操という意味づけをして行っているうちに、それが禅につながるかもしれないぐらいだ。

 肺の筋肉体操だと割り切って、肺を司る筋肉に意識を集中させる。これができるようになると、一段違う世界には入れる。かもしれない。

 八段錦を精一杯行い、最後に静かに手をおへその前で結ぶ。収功という。収功にももっともらしい意味づけや作法があるようだが、別段難しく考えないでも可能だ。

 手は座禅の時の手の組み方と同じ。立ったまま、静かに手を下ろしそのまま手を結ぶ。右手を上に向けて、左手をその上にのせ、親指を向かい合わせにする。法界定印(ほうかいじょういん)という手の形にする。

 八段錦の筋肉体操を全力で行った後には力が抜けている。手を合わせて静かに立っているときに静寂な気分に包まれる。安堵感というか、安心な気持ちが降りてくる。

 これは座禅で言うところの無念無想の状態いに近い。空という物を知りたければ、是非試してみて貰いたい。静寂の状態が続いている間は続ける。最初のうちは5呼吸程度かもしれない。気持ちが騒がしくなったところで終わりにする。もし、長く続けば静かな気持ちでそのままでいるのがよい。

 八段錦をすべてを半眼で行う。薄暗い状態で行うことで気持ちが集中する。日が昇るときと日が沈むときの薄明るいくらいが良い状態だと思う。寺では朝夕の薄暗い時間に座禅は組む。

 回数は一段ごとに三回までやってもいいと考えている。一回づつでももちろんかまわない。自分に合っている段だけ、二回づつでもいい。しかし、全力で行うことなので、最初は一回づつでも体力を相当に使う。

 どの動作も難しくはない。年寄でも30回もやれば覚えられるほど簡単である。動きは吸気と止めと呼気の3つで出来ている。ひとつの動きを一息の限界の長さで続ける。呼吸が永く強くなれば、一動作が長いものになる。そして呼吸を止める場合もできるだけ長く止める。

 すべての動作は呼吸を司る筋力を鍛えるようにできている。動きを覚えたら、どのように力を入れれば、呼吸の筋力が鍛えられるかを考えて、横隔膜を鍛えると思えばそこに意識を持って行き動かす。胸の筋肉であれば、胸が動くように手や身体を動かす。

 呼吸は吸うときには鼻から吸う。吐くときには口から吐く。これが基本であるが、別段やりにくければどのようでもかまわない。要するに長くいゆっくりと呼吸することができれば言い。止めは8秒と書かれたものを読んだことがあるようだが、自分の長さでこれもいい。

 八段錦の動きは呼吸を司る筋肉を鍛える動きなので、それを意識しながら、動いてみると、自然にどの動きをどうすれば、呼吸の筋肉に影響するのかは見えてくる。

 私の場合は、基本は手のひらには軟らかな玉を乗せているような気持ちでいる。すると掌が温かい感じになる。3段錦などでは手のひらに持てないほどの重さの玉を持っているように力を入れる。自分で工夫しながらやることが大切である。あくまで肺に筋肉を鍛えるという視点で考えて工夫をする。

 ユーチューブを見ると現代中国で行われている八段錦も出てくる。影響を受けないようにした方がいい。道元が禅を学んだ時代からみると、中国はどうかしたのかと思ってしまうように変貌している。八段錦が少しおかしな話になっている。

 八段錦の動作の基本を覚えたら、自分の筋肉の鍛え方に合わせて、動きを自己流に変えた方が良い。身体はそれぞれだから、他人の形そのままよりも自分なりに工夫した方が効果が高くなる。
 
 私は陽名時先生の八段錦を学んだが、違って当たり前と思っている。私のように目を閉じて行っている人はいないようだ。動きも私よりかなり早い。最後の8段は目を閉じて行えば、ゆれてしまう。それでもやっているうちにだんだん改善される。



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