2019年の自給の為の小さな田んぼのまとめ。

   


 
 コンテナに干しにしたイネは、米粒は良く乾く。茎が乾きにくい。茎がハーベスターに巻き込まれないように、脱穀するのがコツである。お米は1週間で15%を切っていた。干している間に豪雨台風が来たにもかかわらずである。

 今年の田んぼが終わった。寂しい気持ちになる。祭りの後の寂しさだろう。今年の場合、石垣に帰るという事があるので一層さみしい気持ちになる。いつも精一杯の田んぼなのだが、今年は手作業の田んぼをやり遂げたという事が素晴らしかった。

 こんな喜びを持てるという日が来るとは思わなかった。大げさではない。一人で山北の山の中で始めた時にはまさかこうしてみんなで田んぼをやれることなど想像も出来なかった。みんなでやる自給の田んぼのすばらしさを再確認できた一年であった。

 20数年前に山北の塩沢で手作業の田んぼをやったことがある。そこでの田んぼはあまりうまくはゆかなかった。まだ技術的に未熟だったことがある。手作業で田んぼをやるという事は、機械でやることに比べて田んぼ力が必要という事になる。



 台風で家の中にしまった。廊下から部屋まで稲でいっぱいになった。

 今回の久野欠ノ上の手作業の田んぼは3畝である。300㎡である。小さい田んぼと言っても、自給の田んぼとしては最大の大きさである。上手く作れば、180キロまでは取れる。今年は160キロだった。この減少は10キロが天候で、あと10キロが、私が夏の間居なかったことだろうと思う。イネもさみしかったのだ。

 来年は手作業の田んぼを5番、6番、7番にする。併せても、2畝ぐらいの小さな田んぼである。一人の自給であれば、田んぼは100㎡で良い。狭い方が、良い稲作になる。みずまわりだって草取りだって、徹底できる。広い方が良いという事がないのが、自給の田んぼである。

 今回手作業の課題が整理できた。田んぼはやってみなければわからないものだと改めて思った。例えば、田起こしはシャベルでやったのだが、田起こしようの道具を使えば、だいぶ楽になりそうだ。田起こしがこんなに力仕事だとは考えていなかった。

 田起こしをして、土を天地返ししたのは良かった。田んぼの土の良さがよみがえったようなきがした。代掻きはみんなで足でかき回した位であったが、線を引くことも普通にできた。田植えも何の問題もなかった。

 草取りやコロガシは田んぼが硬いので、作業が楽だった。驚いたことに、9月に田んぼに戻ってくると、田んぼが深くゆるゆるになっていたことだ。こんなに緩いという事は驚きであった。田んぼは代掻きなどしなくとも、忽ち微生物が耕して深くしてしまう。

 
 籾摺り機は運転音に注意しなければならない。おかしくなってから対応するのでは手間がかかる。おかしな音がしたら、すぐ投入を止めることが第一である。

 田んぼがともかく深すぎた。田んぼは浅いほど良いと思う。15枚が連続している田んぼなので、間断灌水が難しいのだ。一枚の水を切ると切りたくない下の田んぼに水が行かない。下の田んぼに水を満杯にしようとすると、上の田んぼが冷えてしまう。

 この厄介な水管理を、田んぼの状態を細かく見ながら行わなければならない。確かに深水管理や間断灌水は言葉でいうほど簡単なことではない。観察力を伴わないと、良かれと考える努力がおかしな方向に進む事になる。

 その意味もあり、来年は浅水管理にする。浅水管理であれば、技術力の影響が小さいのではないか。と考えた。誰にでもできるという意味では、浅水管理のようだ。これもやってみなければわからないが、来年の課題である。



 籾袋は籾摺りの順番を待つ間も外に並べて干しておく。籾摺りした玄米も袋ごと外で干す。短時間でも干すことは品質を上げる。

 それにしても今年の田んぼは充実していた。私が少し離れることで、皆のかかわりが深くなった。それぞれに自分の田んぼだという意識が深まったと思う。

 どういう偶然か、最後の籾摺り日に長野からわざわざ、来年の田んぼに入れて欲しいという人が来てくれた。この方は来年は長野からわざわざ小田原に越してくるので、参加したいという事だった。作業に追われていてゆっくり話すことも出来なかったのだが、全国に自給の田んぼをやってみたいという人がいる。

 日本にはまだこう言う人がいるから大丈夫だ。田んぼには人間を育てる力もある。一人でやれる。じゃみんなでやろう。これだと思っている。力のある人は周りの人のために、一人でやり切れない人は感謝しながらみんなの助けを借りる。

 伝統的な稲作はそういうものだったのだと思う。そうして集落共同体というものが生まれた。その共同体が日本人というものを作り出した。稲作を生活基盤とすることで、自分と全体という関係を学んだのだと思う。

 確かにそれは土地に縛り付けられた、封建社会である。戻れという訳には行かない。日本人が明治期いち早く西欧に追いつくことが出来たのは、江戸時代に培われた人間の力である。その人間力は田んぼを通して生まれた、共同体の力だと思う。
 
 日本人は戦後の個人主義というもので、一人でやり切ることを重んずるようになった。それは個人というものが自立するという意味で大切なことではあったと思うが、他人をないがしろにしても自分が勝ちぬけばいいという、拝金主義が蔓延することになってしまった。

 拝金主義が全体の一部であった時代が、日本の高度成長期を産んだのかもしれないが、拝金主義だけになってみると、人間力が衰退してしまったことを痛感せざる得ない。弱者にとっては実に暮らしにくい社会になってしまった。

 小さな田んぼは人間の復興ではないだろうか。どうすれば人間が田んぼで育つのか。結局のところ、人は人の影響で育つ。世話になることで、世話をすることのできる人間になる。一人の努力を見ていてくれる人がいることが大切なのだろう。

 少なくとも私という人間が自分の絵を描くことが出来るようになってきたのは田んぼをやってきたおかげである。今年の田んぼでつくづくみんなのお陰で田んぼが出来たのだという事がわかる。一人であれば、到底小田原で田んぼをやれない。

 来年もぜひ小田原で田んぼをやりたい。今はその願いでいっぱいである。来年に備えて元気で日々を送るつもりだ。
 

 - 「ちいさな田んぼのイネづくり」