ついに石垣島住民投票条例を提訴に
この左手奥に自衛隊基地が予定されている。石垣島の聖なる山於茂登岳の中腹である。水源地でもある。カンムリワシのすみかでもある。おなじつくるにしても、最悪な場所である。おかしな思惑が背景にあるとしか思えない。出発点に何かうろんなものを感じる。
石垣島では、自衛隊基地の是非について、住民の3分の1が署名をして住民投票を求めた。しかし、市長は国防は国の専権事項だとして、住民の意見は不要とした。そして住民投票を拒否した。明らかに住民投票条例に違反している。この点で住民が提訴に踏み切ることになった。
住民は何度も何度も市長と面談をして、住民投票を行うように要請した。しかし、曖昧な態度を繰り返し、結局の所住民投票を行わない。それどころか、一方で自衛隊基地の着工を認め、自衛隊は市環境条例に違反した工事を進めている。1メートルの度盛りしか許されない環境保護地区で7メートルの擁壁を作るそうだ。
行政は市有地の貸与、あるいは譲渡について、ことを進めている。住民投票を置き去りにして、既成事実を作るのに必死なのだ。何故こんな馬鹿げたことが行われるのか、全く不思議でなならない。何か見えない力が働いている。
市長は明らかにはじめから民主主義政治を放棄している。地元関係自治会は市長と面談を行い、今まで自衛隊基地反対で一致して進んできたが、もし住民投票で賛成が多ければ、地元自治会としては自衛隊を容認するとまで、譲歩した提案を行った。それでも市長は住民投票を拒絶した。
ここまで市長が民主政治を否定する以上、市民としては提訴に進める以外に無いと言う意見は繰り返し出ていた。そして、ついに行政訴訟に踏み切ることになった。住民5万人の石垣島で起きた、対立を深める不幸な提訴である。
しかし、ここまで来たら訴訟も仕方の無いことである。議会でも住民投票は行わないという議決だ。これは選挙の時の公明党議員の公約からすれば、おかしな事であるのだが、それもコウモリ党のいつもの小さな声を聞く政治なのだ。小さいというのは住民の声では無く、権力を忖度する声だ。
議員の中には、中国との関係が平時では無い状態だから、早急に軍事態勢が必要だと言うような、時代錯誤な発言さえ出ている。基地によって軍事的緊張を高めることになる、自衛隊基地が何故石垣市民の安全につながるのか。たとえ尖閣諸島がとられたとしても、石垣市民の命には代えがたい。
石垣市の未来構想を東アジアの交流拠点としている。石垣市は観光産業を中心にして行くこととしている。これについては市民全体の合意形成ができているのでは無いか。観光は平和であることが大前提である。しかも、観光は平和的交流の大きな力になる産業である。
今後の石垣市の発展は多くの人が観光に来てくれることに、基づくはずだ。この状況下に自衛隊基地を推進するなど、全く間違った選択である。石垣の平和はどれほど軍事力を強化したところで、達成できるものでは無い。
武力は強大にしかも、人間の手には負えないものになっている。すでに人間の手に余るものになっている。日本が中国と同様の軍事競争をしたところで、たかがしれている。むしろ、平和的手段と、専守防衛の研究を進めることで、平和が近づくのでは無いだろうか。
なまじの武装は石垣島の危険度を上げるだけである。ミサイル基地があると言うことで、基地への攻撃が最初に起こる。基地が無ければ石垣は素通りの可能性が高い。つまり、石垣島を防人の島にしようと言うことでは無いか。
防人の島になるのに、石垣の住民の意見を聞かないなどと言うことはひどいはなしだ。住民投票は最低限クリアーしなければならない条件である。しかも住民投票条例では、4分の1を超える請求に置いては、市長は住民投票をお粉輪無ければならないとしか、読めない。
こうした、民主義に関わる問題を裁判で決着を付けると言うことは良いことでは無い。住民間の対立を深めることにもなるだろう。しかし、ここまで聞く耳を持たない市長である以上、やむ得ないことである。
自衛隊基地という住民の命に関わることは、住民の意思を尊重して貰わなければならない。市長の言う、国防は国の専権事項だなどという考え方は、妄想以外の何物でも無い。市長のリコールも進めるべきでは無いかと考える。
議会は解散動議も出されたが、これも拒否された。やはり、最後の手段に出る以外無い。自衛隊が来ると言うことは石垣島の未来にとって、極めて重要なことになる。島を愛するものであれば、ここで軋轢が生ずるとしても、裁判で戦うほか無いのだろう。
裁判では自衛隊反対の根拠が重要である。そんなことは自治基本条例の裁判に関係が無いと思われるが、そうではない。何故、強く住民が反対しなければならないかの背景は、必ず裁判に反映する。長い裁判になることだろう。信念を持って挑まなければならない。