水彩筆について使用者としての感想

   



40号の絵を1メートルの筆で描いているところ。

  水彩画で道具と言えば、筆だ。筆は絵を描く上で当然重要になる。筆を相当数試してみた。今、持っている筆だけで、500本は越えていると思う。使いやすそうな筆を探してついついそうなってしまった。

 良さそうな筆を見ると、買わずと居られない。別段人工毛であろうが、コリンスキーであろうが変わりは無い。困ったものだ。困るのだが、もっと良い筆があるような気がするもので仕方が無い。筆は良さそうであっても使ってみなければ全く分からないものだ。

 筆は人工毛の優れたものが現われて、世界が一変している。筆は今後人工毛になってゆくと思われる。まだいまの所、人工毛と分かって使ったもので使えるものはない。筆の職人でも判別できないものがあると言う説もあるから、知らないで使っている可能性も無いとは言えない。使っているに違いないだろうと思う。

 まず、私にとって良い筆とはどんな筆かを書いてみる。多分人によってかなり違うのだと思う。
 1,思い通りの線を引くためには、筆に腰が無ければならない。ほどよい弾力である。線の自由自在の変化についてこれる筆で無ければならない。こんな線がここでは必要という時に、てに反応してそういう線になる筆である。線が感性の反映にならなければならない。

 2,充分に絵の具を含む筆で無ければならない。広い面積をどのような調子にでも描けなければならない。途中で絵の具を付け足す事は少ないほど良い筆だ。薄い色調が何度も重ねられて色調は現われてくる。

 3,水の含みの終わりに来て筆が割れないもので無ければならない。最後全体が同じ調子でかすれて行くものが良い。まとまりの良い筆である。たっぷりと絵の具を含んで筆を画面に下ろしたときも、最後に筆が画面から離れるときも、ほぼ同じ調子が可能な筆でありたい。

 4,1本の筆で多様な表情を出せる必要がある。かすれた表情が欲しいときには、かすれた調子が出せる。水のあふれて行くようなにじんだ表情も出せなければ。変化の無い表情も可能な筆。同じ筆が、そのときの使い方、水の含ませ方、絵の具の濃度で、表現幅が広いほどよい筆である。

 5,美しい筆触が無ければならない。水彩で一番重要なことは筆触である。筆触に作者の表現が託せる筆で無ければならない。筆触は下品になりがちなものなので、さりげない筆触で無ければならない。昔の不朽堂の隈取り筆はこの点で素晴らしいものがあった。

 名村大成堂という筆のメーカーがある。ホームページには筆の材料のことが書かれている。私の考えていたこととは違っているところもある。水彩画筆編 総合画材問屋が教えるタイプ別水彩画筆の選び方と言う記事がある。名村の関係者だと思われる。断箋残墨記という筆屋さんらの蘊蓄がある。西本皆文堂の筆のはなしくれたけの筆の説明。ネットには筆にまつわる様々な情報があるが、読めば読むほど、矛盾が出てくる。

 水彩画を描いているのだから、筆は何より重要な道具である。武士の刀のような、違うか、百姓の鍬という方が私らしいか。大げさに言えば、筆が無ければ絵が描けない。昔、春日部先生と写生に出かけて、筆を忘れたことがある。そのとき三橋さんが貸してくれた。そのことは今でも忘れられない恩である。あれからどうも三橋さんには頭が上がらない。

 筆は消耗品である。どれほど描きやすい筆でも寿命がある。だんだんすり切れて、使いごこちが変わる。少し使ってからの方が使いやすいという人もいるが、良い筆は最初からすでに使いやすいものだ。その使い心地は変わらない。

 一本の筆で描く人も居るが、筆は最低でも4本無ければ描けない。必要な表情にふさわしい筆がある。それくらい水彩画は微妙なところで成立している。線の太さの問題もあるが、色の濁りの問題もある。優しい気持が必要なとき、激しい表情が必要なとき、その時々でとっさに筆は持ち替えて描く。

 筆の太さは太いものが2本はいる。中ぐらいが2本。太いというのは穂先の根元の径が15ミリ必要である。中ぐらいのという者は10ミリぐらいである。これより細い筆は私は使わない。穂の長さは30ミリから40ミリである。

 筆は腰を入れて力を込めて使う。穂先でなめるように使うと、姑息なちまちました印象になるので嫌いだ。筆は技巧を消してくれるもので無ければならない。良い筆は技巧を越えた、やり尽くした姿を表現してくれる。

 筆は16号とか、22号とかあるが、あれは当てにならない。メーカーによって勝手に数値が付けてある。しかも日本画でも別の号数がある。気にしない方がいい。筆穂先の太さが重要である。もちろん、穂の長さも大切である。短穂と長峰とある。どちらもそれぞれである。気分や段階によって変えている。

多くの場合、最初は長峰の筆でゆったりと始める。7センチぐらい穂先のある筆である。山羊筆の場合が多い。くにゃくにゃする。水墨の筆の扱いに似ている。狙った線を引くというのでは無く、見ている空気感に反応する線である。丸筆以外はまずは使わない。

 ここからは具体的に書いておく。筆の毛はコリンスキーが私には良い。メーカーは、レンブラント、ピカビア、ラファエロ、ニュートン、どのメーカーのものでも大差はない。コリンスキーの良いものは使いやすい。筆の作りよりも、100%のコリンスキーならば使える。ただ、100%コリンスキーのものはないのかもしれないと最近感じている。

 レッド・セーブルというものもある。コリンスキーとは少し違う。セーブルがテンでコリンスキーがイタチでは無いかとあるが、実際はかなり混同していると思う。点であれ、イタチであれ、様々な種類もある。毛をとる場所によってもまるで質が異なる。コリンスキーと言われるイタチは希少動物で現在、供給されないはずだ。だから筆にはわざわざ、1990年以前のものなどという注釈があるものさえある。

 中国では豹狼毫と言えば、黒竜江省に生息する鼬となる。鶏狼毫といえば、馬毛が混ざってくることもある。中国らしく名前は大げさで、要するに狼では無くイタチで良いのだが、珍奇なものという意味で様々な名前を大げさに付けるようだ。これも混乱の原因である。
 
 筆は偽物の方が多くあると言う世界である。毛を染めるのは当たり前である。そこにナイロンが加わるから、真実は誰にも分からないのでは無いだろうか。今もしあるとすれば、養殖されているイタチなのでは無かろうか。

 日本の筆が悪いというわけでは無いが、ほとんどの毛が輸入である。日本の筆と言っても、中国で作られているものがほとんどらしい。日本製造では無い和筆でも様々なコリンスキーの筆もあり、これもなかなか良い。もう少し軸が太くて、筆自体が長ければさらに良いのだが。どの筆でも水彩筆が短くて私には合わない。短い原因は水彩画というものを、スケッチに持ち運ぶ画材という範囲で考えているからだろう。

 コリンスキーは貴重な材料なので、偽物が多々ある。人工毛でも職人でさえ見分けられないものが現在はあるそうだ。特に穂先の長いものには偽が多い。イタチの尾の毛なのだから、そんなに長いものはあり得ないと書いてあるが、イタチの毛は結構長い。

 コリンスキーが良いのは腰が強い上に、水の含みがたっぷりしている。その上に筆が割れない。羊毛筆の方が表情は豊かだと思うが、腰がないのでよほど熟練しないと特に長峰は使いこなせない。一般的に言えば水彩画にはコリンスキーが向いていると思う。

 水彩筆ではこのほか山羊、鹿毛、馬毛、兎毛、テン毛、リス毛、ネコ毛、狸毛、等きりが無いほどあるが、私にはコリンスキーが描きやすい。結論としては、よほど良い羊毛筆か、イタチ毛が水彩筆には良いことになる。

 書の筆で、コリンスキーの仮名文字用のものがある。これも書きやすい筆だ。これは日本でも中国でも作られている。問題は筆先が割れてくるものが多い点だ。

 厳密に言えば何の毛だかよく分からないのだが、イタチ毛の中の上海工藝社の豹狼毫のと記載のあるもので描きやすいものを持っている。上海工藝社と言っても何十もの小さな工房の集まりなので、実際良いものは限られている。こうした書で使う筆の方が軸が長くて使いやすい。

 イタチでも、寒いところのイタチの尾の中程が良いとされているようだが、その辺のことは全く分からない。イタチだって、テンだって何が違うのかも分からない。中国黒龍江省に生息の黄鼠狼(イタチ)の尖針毫がよいとされているらしい。もし本当であれば、すでに輸入禁止のはずだから、それらしきものに過ぎない。

 いずれにしてもヨーロッパのコリンスキーの水彩筆も軸が短くて難点を感じている。何か筆先でこちょこちょ描くような長さになっている。水彩というものを甘く見ているのでは無いかと感じて腹立たしい。

 その点、油彩画用のコリンスキーの筆だと、軸が十分の長さがあるのでよいが、太いものがない。軸は20センチは欲しいところだ。筆の長さに、油彩画の求める構築的世界と、水彩画の技巧姓が先行する姿の違いが出ている。

 マチスは1メートルくらいの棒の先に筆を結んで描いている。その気持はよく分かる。全体を見ながら細部を描きたいわけだ。1メートルの筆先であれば、当然ちょこまかした描写的線にはならないで済む。こういうことはやってみなければ分からない。馬鹿馬鹿しいようだが、試してみるとその意味が分かる。水彩画は気を付けないと表面をたどることになる。しかし、そこまで長いと、絵の具を付けるのに苦労する。

 以前は不朽堂の隈取り筆の白鳳ばかりを使って居た。これは山羊筆だ。実に良い線が引けて良かったのだが、その後この筆は持ってはいるのだが、余り使わなくなっている。理由はよく分からない。良い山羊筆というものは案外に少ない気がする。山羊と言ってもこれもまた様々でピンからキリまである。

 結局のところ、中国の筆の方が、平均すると描きやすくなった。中国の筆は余りに様々なのだが、時として素晴らしい筆にであう。それでも豹狼毫、鼬毛とあるとついつい欲しくなる。当たりは半分以下である。

 中国筆で良いものは大体が使用されている毛が一種類が多い。これも、最近は日本の影響か、元々そういうものもあったのか、今は変わりが無い。日本の筆は外回りに来る毛がかためで、内側の毛が柔らかい事が多い。外側の毛で筆触を操作し、水の含みを内側の毛で調整するのだろう。こういう筆は寿命が短い。

 だから、筆作りで書きやすさが全く異なってくる。いずれも善し悪しが様々でどちらが良いとも言えない。中国でも日本式の造の筆は最近多い気がする。

 筆は貴重なものなのだが、自分の好きに使わなければならない。こんな使い方だから筆を傷めるというような事は考えてはならない。日本画の人であれば、筆はたちまち消耗品だそうだ。画面が紙やすりのようなものなのだ。

 筆は使い終わったら水洗いをして、紡錘形にまとめてそのまま乾かす。大切に使えば、水彩画であれば、20年問題なく使える。保存中に虫に食べられることがあるから、桐箱に樟脳を入れてしまわなければいけない。当然乾燥した状態で無ければ、かびることもある。

 実は今まではこのようなことだったということである。現状ではナイロン繊維の筆が、実毛を超えている、らしい。まだ意識をして使ったもので、良いものに出会っては居ない。知らないで使っているものはあるかもしれない。特に自然の毛に混ぜているものが多いらしい。
 
 最初に書いた筆の条件5つは確かに人工の毛が優れている可能性が出てきている。希少動物もこれで一安心である。動物を虐待しているような気がして、嫌な気分がいつもあった。これからはすこしづつナイロン筆を試してみる。

 腰のある繊維、吸水性のある繊維、筆のまとまる繊維、表情豊かな繊維、筆触の良い繊維。現代の衣料や紙のの技術を考えれば、出てきていてもおかしくは無かった。

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