石垣島の軽み(かろみ)の文化

   




 写真の家を見て、衝撃を受けた。自分の家に前の壁に描かれている絵である。良く描けていて驚いたと言うことでは無い。自分の家の壁に、こうした絵が所狭しと描かれるというのは不思議では無いか。このお宅だけでは無い。絵が描かれていると言えというのはかなりある。

 石垣島のことですこし気づいたことがある。石垣島の人にしてみると案外に自覚されていないのかもしれない。石垣島の人たちの魅力は「軽み、かろみ」ではないかと思い始めている。芭蕉の最後の境地である。わび、さび、かろみ。



 漫画シーサーを見て思ったことだ。家の守り神を漫画にしてしまう感覚というのは、独特のものだと思ったのが始まりである。新しいシーサーほど冗談のようだ。ピースサインをしているシーサーは考えにくいと思う。

 多くの方の性格が優しいのだが、その優しさは相手の側に立つという優しさなのだと言うことにつながっていると気づいた。自分のことよりも、相手に笑って貰うと言うことが優先される。石垣の人間評価は、人を笑わすことのできるかどうかである。

 石垣では自己紹介が大切にされている。何につけて一人一人が挨拶をする。飲み会でも全員が順番に挨拶をすることがある。そしてその挨拶を良かったとか、だめだなあ。とか評価し合うのだ。だから、皆さん素晴らしい挨拶をするようになる。私の挨拶は正直余り評価されない。笑いの無い挨拶だから当然である。しかも、押しつけがましいという印象らしい。

 石垣島で一番評価が高い挨拶が、笑いを誘う挨拶である。人を笑わせることができれば、一人前という感じだ。笑わせるには偉そうではダメだ。自分を軽く見せる。どうもこの辺が大事なようだ。だから私は移住してきました。ではなく、私は越してきましたである。

 移住は少しえらそうらしい。そういう微妙な感覚である。あるコンサートで、自分は移住してきました。と叫んだ歌手がいた。そのとき流れた冷ややかな感じが、当人にはわからない。

 石垣に越してきたが、すぐに帰ってしまう人が居る。偉ければ認められるだろうとして、自分を偉そうに語る人である。自分がどれだけかつての居住地で認められているかをそれとなく語る人である。実際にエライ人でも同じようだ。偉ければエライほど、かろみを出スト評価が高くなる。

 エライ人の居場所はないのかもしれない。エライ人のいらない島なのかもしれない。これはその通りに素晴らしい。国境の島というものはそういうものかもしれない。いつも柔軟で、妥協的で、受け入れる心が大切にされる。こういうことはエライお上が取り仕切ってもできることでは無い。

 国境の島を力で守るという思想がそもそも間違えなのだ。相手とどれだけ親しくなるか。融和できるか。これが国境の島の暮らしなのだ。だから、石垣島には自衛隊は似合わない。

 国境に暮らしてきた人々だから、平和の作り方を知っている。石垣島は多くの人が出て行く。そして、それ以上に多くの人がやってくる。外分から来て石垣で定着して、石垣人になって行く。国境の島は案外に流動的なのだ。石垣の新しい村はすべて、外部から来た人によって開かれている。

 石垣島も昔は暮らしは大変だったのだと思うが、それでも暮らしが成り立つという意味では、日本本土よりは暮らしやすかったはずだ。税金だけが問題なのだが。自給自足なら、石垣島は暮らしやすい場所で会った。

 青ヶ島を旅行したときに聞いたのだが、江戸時代が島で一番人口が多かった時代だというのだ。自給自足で暮らすには案外に島というのは暮らせるのだ。罪人が島流しにされる場所が、案外に江戸よりも暮らしやすいというのが面白い。

 与那国島なども今よりも昔の方が人口が遙かに多かった。ひとつの産業で生きると言うことであれば、島は今とは全く違う暮らしが存在した。権力から遠く離れていると言うことも、くらしやすさにつながっていたのだろう。

 税金の問題である。人頭税で厳しく取り立てられたから、暮らしが厳しかったのである。税が無ければ充分暮らして行ける場所なのだ。現代社会は頭で生活するようになり、都会中心である。しかし、自給自足であれば、南の島は以外にいいのかもしれない。

 それがかろみの文化が誕生する土壌なのでは無いだろうか。皆さんが自立していて、一人で生きていける自信を感じる。それぞれの自立性が無ければ、かろみは無理だろう。

 そうでなければ、アニメキャラクターで自分の家を取り囲むようなことはできないはずだ。八重山そば屋さんでも、北斗の拳のケンシロウが巨大に描かれていてびっくりした。

 私の絵も少しは軽くなるだろうか。

 - 石垣島