石垣島野外音楽フェスティバル「リバーブ・フェスト」

   

 
 石垣島で若い人たちを含めた野外音楽フェスティバルがあった。400人が集まった。よく分からないままに、石垣の音楽は面白そうなので出かけてみた。舟倉の里の野外ステージである。
 
 このフェスティバルはクラウドファンディングでお金を集めて、開催されたものである。このあたりの事情は会場では全く分からなかった。142万円が集まったそうだ。12回目だそうだが、3年ぶりらしい。舟倉の野外ステージでやったのは初めてのことらしい。表示がないので、主催者も運営も分からなかった。
 
 舟倉というのは、石垣の料理を食べさせるお店だ。古民家が8軒集められている。海岸まですぐの場所である。大きな古民家が舟倉だったと言うことだろう。ソーキそばも美味しいが、高い。それで私の八重山そばベスト3には入っていない。
 
 野外だから雨と晴天両方が怖かったことだろう。幸い最適の曇り日であった。入場券は3000円だった。全体の作りが学園祭的であったが、その手作り感の良さの方が上手く出ていた。野村組が設営したと何度も司会者が紹介していたのは、ボランティア的な仕事だと言うことだろうか。希望を言えば、全体が分かるような説明がどこかに欲しかった。いろいろ分かったのは家に戻って調べてからだ。
 
 出演者は12組。プロと高校生が、入り交じって出てくる。このことすら分からなかった。今思えば高校生が面白かった。荒削りではあるが、個性はむしろ強い。プロという人たちはいかにもという意味で上手であるが当たり前であった。今時の高校生とは到底思えない、破天荒なところが良かった。こういうやり方にすれば、プロと言われる人がよほどでなければ、高校生に負けるものかもしれない。
 
 高校一年生の4人組のロックバンドはド迫力だった。声もでかいし、完全に異次元に入り込んでいる。音楽が心に迫りくる。すべてオリジナル曲で、パフォーマンスした。中でも畑のロックは良かった。オクラ一本30円、10本なら200円。こんなことを叫ぶのだ。何か人ごとではなこれがロックだ。こんな歌を叫べる16歳の感性が素晴らしい。
 
 石垣島には健全な音楽文化がある。都会でプロになるなどくだらないと考えた方はどうでもいいだろう。良いものはどこに居ようが良いものだ。表現の方法はいくらでも広がる時代である。じいさんのロックンローラーが音楽業界に囲い込まれているよりも、遙かに健全だ。音楽は商業主義を超えなければ面白くない。プロの女性ラッパーの移住者を力説する姿は私には自戒になった。プロって自称しても人間はあんなもんだ。結局人間を聞きに行くのだ。
 
 会場の隅の方にちょこなんと座って、ビギンの比嘉栄昇さんがいた。反対正面に居たので、気づいた。みんなの態度が全く気づいていないと言う態度であったのがいい。気づいているのだが、石垣的気の使い方である。これが石垣島の良さである。
 
 吉本興業から来たという司会者が、夏川りみさんの唄と言って「涙そうそう」を紹介していた。作曲した比嘉さんの前で無神経ではないか。と思ったが、夏川りみさんも高校の先輩だからまあいいか。
 
 涙そうそうを唄った高校二年生の4人組の歌のうまさには驚いた。しゃべるように唄うと言うことが身についている。これができそうでできないものなのだ。その人自身の唄であること以外に大事なことはない。高校生がしゃべるままに唄えると言うことは、天賦の才なのか、八重山民謡をやっているのだろうか。
 
 石垣に戻り、毎日唄うようにしている。「月桃」を自分のものにしたいと思っている。いまがやっと歌詞を覚えたぐらいのところである。2ヶ月唄ってそんなものだ。しゃべるままに唄えるようになりたいと努力している。努力はしているが、上手く唄うの方が強くなる。
 
 三線はまだ良い音で鳴らせない。月桃の間奏に三線で弾きたい。三線の音だけで伝わるように引きたいと努力しているが、ほど遠い。力が入りすぎるのか、左手の小指が痛くなる。
 
 伝えたいのは平和の空気である。月桃の唄で言えば、「ふるさとのなつ」で平和への想いを表現すると言うことになる。月桃の花が、世界である。人間の悲しい愚かさを唄う。
 
 でん田楽団の唄「平和のキキュウ」も練習している。もう一息である。赤松さんの自然な歌い方をまねているのだが。なかなかできない。赤松さんが詩を書いたら歌を作ってくれるというので、田んぼの唄を作詞している。これもなかなかできない。
 
 
 

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