南嶋民俗資料館

   


石垣島の繁華街のすぐそばに南嶋(なんとう)民俗資料館はある。いつも閉まっていたので、入ることができないでいた。散歩をしていたら開いていた。こういう機会はまたとないと思い、散歩を急遽やめて見学させてもらうことにした。観光客の方がお願いして開けてもらったらしい。隣にいることは分かっていたのだが、わざわざ開けてもらうのもちょっと気が引けていた。この民俗資料館は凄い場所である。まずこの家は200年前に建てられた当時の石垣を束ねる人の家だった。こうした古い立派な家が石垣には3軒ある。どの家も姻戚関係があるらしい。ここにある民俗資料の前に、この民俗資料館をやられているご主人こそ、最も代表的な石垣島の民俗資料である。話が面白い。面白いだけでなく、知識が本格的で深い。石垣で暮らしている人がどんなものか、人となりを知りたければ、この資料館の一級品の資料である、ご当主崎原當弘氏と話してみることだ。八重山的人物の一典型と言って間違えない。

4月には、「こおもり」という喫茶店をやる予定というから、訪ねてみるといい。ただし、実に石垣らしく、夜6時に初めて、12時までという。夜だけやる喫茶店である。コーヒーがおいしい。ハワイから特別に取り寄せるという。独特のカカオの香りのするコーヒーである。確かにおいしい。私はまだ商売前なので、サービスで飲ませてくれた。カップもわざわざ西表の方に作ってもらったのだそうだ。クイナが描かれていた。音楽はともかくジャズである。この喫茶店は南嶋民俗資料館の中にある。果たして想像できるであろうか。つまり民俗資料館ではあるが、石垣コーヒーも出ない。三線の音もない。マンゴージュースもない。資料はやはり、御当主である。どんなことでも、聞いてみることだ。たちどころに石垣的反応がある。石垣人とは表現者なのだ。パフォーマーといってもいい。お会いした一期一会をやりつくしてしまう。杖道とか、居合をされるという。道場を開くほどの高段者なのだそうだが、弟子は今のところ一人もいないという。石垣島なのに、なぜ、空手ではないのか。等と考えてはならない。

シーサーの話を伺った。「シーサーは2体の対ものなのか。これがどうもわからない。屋根の上には大体牡1匹が置かれる。」とお聞きした。よどみない説明が始まった。面白かった。面白いは失礼であるが。オスは口を開き魔を吸い込んでしまう。メスは口を閉じて魔を追い払う。しかし、そもそも屋根の上にシーサーなどなかったという。これは明治初年首里王朝崩壊後に石垣に来た氏族が屋根というものを持ち込み、首里王朝の伝統である屋根の上のシーサーが置かれるようになった。それをまねて石垣でも、赤瓦の屋根が作られるようになり、屋根シーサーが置かれるようになった。そもそもシーサーが門柱にあったのかどうかは聞き忘れた。話に勢いがあるので、途中で口を挟むようなことはできない。民俗資料としてのシーサーは30ほどあるか。話が一呼吸した時に、うまく次の質問をした。何故石垣ではあの冗談のような漫画シーサーがはやるのかと。あれは観光客向けだ。売れるのでふざけたものが広がった。そのうちどの家にも飾られるようになった。この魔除けがおふざけものになって、石垣の人まで飾るようになるという、柔軟性も石垣的である。

隅にすごい力の入ったいいものがあった。これはと口を開いた途端、御当主の解説話が始まった。。石垣島焼きというのをやられている、女性の作ったものだそうだ。その息子さんが今焼き物をしている。この陶土が素焼きといっても高温に耐えるもので、磁器の部類なのだそうだ。この陶土が素晴らしくて、勝手にこの陶土を使えないように、市のなんとやらに指定してあるとのこと。この陶土の説明をいろいろうんちくがあったのだが、今は置いておいて、何故石垣の甕はクウスができるのかをなるほどと思った。安南から来た甕と思っていたのだが、そうでもないかもしれない。何しろ、ここの南嶋民俗資料館のある大川の御嶽は安南の人を祭っていると言い伝えられているそうだ。この人はイネの種を持って石垣に流れ着いたのだそうだ。そして稲作が盛んになり、石垣が繁栄したという言い伝えがあるのだそうだ。この話も聞きたいことはいろいろあったのだが、今回はこの辺で終わりにした。午後は飲まないコーヒーを飲んだために夜は眠れなかった。それは分かっていたのだが、ここで断ることなどできない話術の圧力がある。また眠れないほどの感動モノ。



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