絵画批評はどうあるべきか。
この大木には真っ赤な大きな花が咲く。不思議な感じがする。
絵画の批評というものは今はもうない。夏目漱石が絵について批評文を書いたこともあった。絵画が社会的なものでなくなり、批評文はまず見ないことになった。絵の批評は危険なものだ。私が過去言われたことが頭のどこかに残って自分に影響を与える。良い批評であれば、それは良い結果になる。悪い批評であれば、迷惑なことになる。人が言うことだから、よい批評もあれば、悪い批評も必ずある。いつも迷惑なことをいう人もいれば、いつもありがたいことを言ってくれる人もいる。絵を描いて居るからと言って、絵を理解している人は実は少ないと思う。これはもちろん私のように絵は私絵画であるという理解の人が少ないということだ。絵は商品であるという理解に立つ人は多いのだろう。売れるものが良いということになるのだろう。この観点から画商さんは絵を見るのだろう。当然のことである。ところが私は、芸術としての絵画は私絵画の時代に入ったと考えている。その観点からしか批評はできないし、そのための観点の批評以外はあまり意味がない。意味がないだけならよいが、たいていの場合有害になる。
1980年前後、渋谷洋画人体研究所というところでクロッキーをしていた。そこで出会ったあべさんという若い人がいた。その人は何もない空間というものに惹かれるといわれていた。ただ広がった駐車場のような空間を描くという。なにかあるなと思いながら話を聞いた。コンセプチュアルアートの時代だから、絵というものを読むという習慣があった。その意味はよく理解できないでいた。岡本太郎の言うところの、日本人は何もないという清浄感に神聖を見たということに近いのかなと思って聞いていた。彼はそんな意味ありげなことではなく、ただの駐車場だとこだわって話した。なにかありげなところには興味はない。純粋に広がった空間を絵画としての眼が興味を持つということらしかった。石垣島に来て、あの空間の広がりの意味が、岡本太郎の言う何もないということとつながったような気がした。何もない空間というものは、実は大変なものなのだ。努力なしには作れないものだということ。
岡本太郎が久高島の御嶽で何もない神聖を見た場所に行ってみた。しかし、今は近づくこともできない。近づけないようにしているということもあるのだろうかと思ったが、ともかく御嶽周辺はジャングル化していた。石垣も同じだ。ひたすら草や木を取り除かない限り、半年でジャングルに戻る。御嶽の祈りの場を何もない場所にするには、週に一度はきれいにしなければ維持ができない。つかさ以外には入れない場所なのだから、つかさがいなくなれば管理はされない。そうして人間が作り出した何もない空間というものは実に大変な思いがこもった何もない場所になる。押し寄せ来る自然の覆いつくす力への、人のあらがう姿というか、祈りの為に生命の満ちた場所を何もない場所にする努力をして祈りの場になる。何もない作られた空間には何もないのだが、作り出す労働の蓄積という背景があって、祈りの思いがこもる。それはゴシック建築が作り出した、神を恐れぬような建築の荘厳と対極的なものだ。その祈りの思いを岡本太郎は直感したのだ。日本の神聖は当たり前の日々の手入れによって生み出されている。
田んぼを描きたくなる意味に気づいた。何故踏み分け道が描きたくなるのかの意味に少し気づいた気がしてきた。人間の無限に続く営み。その営みに込められる祈りの思いである。努力して努力して何もない場を作る。絵を高め、深めてゆくための互評の意味は、他人の絵の批評するということよりも、自分を表明することが重要なのだろう。絵を表明するには理解しあえる受け手がいるということであろう。理解しあえるということはたちどころにわかるものだ。そもそも、中川一政氏の絵を見て、素晴らしいというのは以心伝心である。あらゆることを超えてわかってしまう。それと批評は同じなのだと思う。その人の表明の言葉を超えて何かが、伝わる。この訳の分からないような何かが絵にはとても大切なのだろう。だから理解しあえる、絵の仲間というものは作り出さないと自分の成長もないということになる。