石垣の映画館

   

上映前の映画館の様子

石垣には映画館がある。一回は無くなっていたのだが、1年ほど前に新しい映画館ができた。この映画館に初めて出かけた。「岡本太郎の沖縄」を見に行った。ユイロードシアターという名前の映画館である。家から歩いて5分くらいの場所になる。ユイロードにあるビルの3階にある。山田書店のすぐ隣である。1階には、飲食店や面白い小物類のお店がある。ビルの中をユーグレナモールの方に通り抜けることができる。この通路が独特で面白い。2階が素泊まりホテルになっている。素泊まりホテルがほかにも2,3か所ある。格安に泊まれるらしい。最近キーヤマ商店だったところもドミトリー何とかにしたと、新聞に出ていた。旅行者というより、半居住者という人が住んでいる。このビルの3階が映画館である。空間としてはかなり広くて、3,4階をぶち抜いたという感じなのだ。そもそもが映画館だったような気がする。どうだろうか、満席で200席ぐらいだろうか。ずいぶん広い気がした。ここでは映画だけでなく、ミュージシャンのイベントが開かれることもある。

驚いたことに、平日の雨模様なのに、人は40名ぐらいの入りである。もっと少ないと想像していた。人が多いので驚いたのだ。小田原コロナシネマワールドは一人だけで映画を見たということもあるくらいだから、40人も人がいて映画を見るのは最近では珍しいことだ。しかも、大半が若い人だ。映画館に限らず、どこに行っても若い人が多くて、それだけで活気を感じてしまう。これが偏らない人口構成の社会の当たり前のことなのかもしれない。石垣のような若者の入り混じり方に驚く方が、おかしな感覚になっている。若い人がたくさんいることで、自分の年齢を自覚することになる。年寄りが年寄りになれるのかもしれない。小田原にいると、自分ぐらいが多数派なので、それが当然のような気になってしまい、年寄りという自覚がしにくい。

若者に交じってみた映画が「岡本太郎の沖縄」だからすごい。たぶん岡本太郎を知らない人の方が多いのではないだろうか。太陽の塔を作った人ということになるのか、芸術は爆発だと叫ぶ変なおじいさんということなのか。50年前多くの美術学生が影響を受けた。縄文と沖縄である。文章に説得力のある人だった。読んでいて一緒に力が入った。今読み返してもよい本だ。日本人というものがどういうものであるのかという原点を力説していた。芸術は商品ではないということも、岡本太郎から学んだ。日本人の作品は床の間芸術だ。絵描きのつもりの建具屋か経師屋ばかりだと、ということも岡本太郎から教えられた。残念ながら説得力のないのは、岡本太郎の作品が爆発していないことだった。岡本太郎の制作の映像を見ていると、画面の遠くで踊り叫んで、画面の前に立つと、実に慎重にちまちま塗っている。技術のない人だ。岡本太郎はフランスのテレビに出演していて、日本ではピカソはフランスの岡本太郎と言われているんだとうそぶいていた。

この映画は岡本太郎の言わんとするところを捉え切れていない。特に、岡本太郎の沖縄論を捉えていない。変わりゆく沖縄というものが副旋律のようだが、そもそも芸術に消えるとか、変化するというようなことは岡本理論にはない。今ある沖縄を岡本太郎ならどう見るのか。たしかに沖縄にある何かが日本の本質につながるものだと看破したのだ。その一つが何もないという清らかな文化。そしてもう一つが縄文からつながる日本人の根底にあるもの。そこを振り下げてゆくことが芸術の役割。作品でそれをやることが芸術家の役割。まさに石垣に惹かれたことはここにある。初めて日本にわたってきた日本人がこの景色を見て、この地に住み始めた。この地を切り開き、田んぼを作るようになった。そして今は田んぼをやり、サトウキビを作り、牛を飼って風景を作っている。こういう日々の暮らしの現れている日本を、自分という生きものが見ている。日本人という自分の眼が、見ている。私には私の石垣島がある。

思い出したので、書き足しておく。大島安克さんが出て、唄っていた。少し前の映像のようだ。八重山の心の唄を唄われている。この人は天才だと思う。石垣の誇りだ。これだけでもこの映画は価値が高い。

 

 

 

 

 - 石垣島