人間は減少した方がいい。
田んぼの赤クローバー 今年は良く出ている。
麻生財務相がいつものように暴言である。「子供を産まなかったという事が問題なのだ。」少子化問題である。老人が増えて、その老人を支える若い人の数が減少した問題。昔は6人で一人の老人を面倒見ればよかった。今は2人で1人の老人の面倒を見なればならない。この事態に至った原因は増えた老人の方に問題があるのではなく、子供を産まなかった方に責任があるという論理。それはそれで筋が通っているとおもう。これを暴言として退けても仕方がない。むしろそこにある考え方を掘り下げるべきではないだろうか。人口問題である。人口減少がなぜ悪いと考えるのか。ここに問題の本質がある。その一番は国際競争力の低下を怖れているのだろう。戦争に勝つために、産めよ増やせよと同じである。競争論理である。労働人口が減少して、国力の衰退になるという考え方である。企業が使える若い労働力が減少する。外国人労働力の導入。共産党ですら、人口減少を問題としている。日本の人口は半減しなければならない。
人口減少は地球維持の唯一の希望だ。地球の大きさに対して、明らかに人間は増えすぎている。日本の経済という観点からだけ、人口問題を見てはならない。中国は人口増加を怖れて一人っ子政策をとった。そして一人っ子政策を止めた今になり、少子化問題が深刻だと言っている。それでも中国の人口増加が止まったことは地球の希望である。何とかして欲しいのはインドやインドネシア、アフリカの人口増加である。その地域地域に可能な人口数はある。先ずは食糧自給が可能な人口が正常な人口である。日本であれば、6千万から8千万人ぐらいである。まだまだ日本の人口は多いいのだ。確かに人口が増えた時期に高度経済成長が起こり、人口減少期には経済停滞が起こるのは当然である。日本の未来の社会像を7千万人くらいで想定すべきなのだ。少子化は日本人のというか人類の本能的判断の結果である。世界中で人口爆発の次に起きていることだ。余りに人口が増加すると、社会がゆがんでしまい、崩壊してゆく不安が生ずる。アフリカでは人口増加が社会崩壊の危機になっている。
子供が減少してゆくことは認めるべきことだ。受入てその中でどうするかを考える。人口増加をして、対応しようなどという考え方が間違っている。6千万人を割ったころにたぶん人口は安定すると思われる。日本の人口密度が適当になるからだ。生き物としての人間集団の自然の選択ではないだろうか。人口減少を前提にすれば、ロボットへの労働移行である。ロボットで可能な仕事はロボットに置き換えてゆくことだろう。人間は人間でなければできない事だけを行う。ロボットで十分と思われるところに、ずいぶん人手が投入されている。例えば、高速道路の料金所。まだまだ人が働いている。宅配便もそうだと思う。宅配は置いてゆくだけで十分である。ステーションに取りに行くという事も可能だ。置いた荷物をどうすれば盗難に遭わないかの方の工夫だ。ごみ収集にも工夫があるはずだ。収集費用はごみを出す人が負担する。持って行けば無料で分別廃棄できるごみステーション方式が普及すれば、人は減らせるはずだ。
人手を減らし、ロボット導入の良い機会である。社会システムの見直し。今の半分ぐらいの人出で済ませる職種はいくらでもあると思う。食糧の自給など最たるものだ。流通全てが要らなくなる。趣味で日曜農業を行う人が増えれば、人口減少に対応できる。確かにそういう事はモノを売ることだけを考えている企業は困ることであろう。企業は企業でなければできないことを見つけて行くことになるという事だろう。麻生氏の考える企業は都合の良い労働力が必要、そういう意味で人口増加を望んでいると表明している。つまりオルテガのいうところの大衆を必要としているのだ。均一化された労働力としての大衆。大衆は量が多ければ多いほど企業にはありがたい。それだけのことである。労働者というものをロボットと同じに見ているのだ。だから安く均一で、多量にあればそれが一番という発想になる。それをまともな考えだと表明している麻生さんは正直な企業家なのだ。しかし、日本の社会はもうそれではやれなくなっている。