沖縄県知事翁長氏の死去
翁長さんが亡くなられた。立派な方がなくなられた。学んだものは大きいものがある。みんな頑張れと言い残されたのだと思う。地方自治の一つの方角を示された方だ。国の防衛問題であっても、基地の是非はその地域に暮らす人が判断しなければならない。このことを命がけで示されたと思う。辺野古米軍基地拡張工事をなんとか阻止しようと最後の最後まで抵抗を続けた。アベ政権に対して従うだけの日本人の意気地なさを叱咤激励してくれた。現在石垣市では自衛隊基地の是非が、市議会議員選挙で問われようとしている。中山市長は自衛隊を受け入れた。中山市長の受け入れの主たる理由は国防問題は国の専権事項であるから、地方が是非を判断できないというものである。何たる間違いであるか。国の防衛問題であるからこそ、そこに暮らす人の明確な意思表示が必要なのだ。国防を国にお任せしてはならない。アベ政権は国防をアメリカに丸投げしているだけなのだ。近隣諸国との敵対関係を強めて、憲法を改悪しようとしているだけの政権である。約束が違うと石垣公明党の議員の中には中山市長に反旗を翻した人もいる。
トランプアメリカは一国主義によって、アメリカ軍の日本からの撤退の可能性も出てきている。朝鮮半島から引き上げることが徐々に具体化してきている。お金を出すなら、いてやっても良いという態度である。アメリカ軍にお金を出して、国を守ってもらうというのでは、国防が国の専権事項であるどころか、アメリカへの委託事業になっている。世界情勢が変わる中では、極めて危険性が高まっている。日本には日本独自の安全保障が必要な時に至っている。それが太平洋戦争の清算なのだ。現状は占領軍アメリカの下に日本国が存在しているに過ぎない。それは防衛を自ら行うという自信を持てなかったからだ。アメリカ軍は日本防衛をしていたわけではない。アメリカの世界での権益を守るために、日本に駐留しているのだ。ベトナム戦争を見てみればわかる。ベトナムという国を守るなどという姿勢は全くなかったではないか。現在アメリカの主張するイラン問題でも、あくまでアメリカの独善だけで動いている。
翁長知事は草の根から、自分たちの意思を持つことの大切さを示してくれた。目前に迫る辺野古埋め立ての土砂投入を食い止めるため、翁長知事が前知事による埋め立て承認撤回を進めようとした矢先の悲報であった。前沖縄県知事は辺野古米軍基地反対を表明して知事になった仲井眞氏であった。知事を辞職する直前になって、砂をかけるように埋め立て承認をしたのだ。まったく民意に反する民主主義をないがしろにする暴挙であった。そして、今もってその裏切りを正当化している。2014年にこの鉄面皮に変わって翁長氏が知事に選ばれた。本来自民党の県議であった人だ。辺野古移転も受け入れていた。しかし、沖縄県民の怒りが沸騰する中、沖縄の意思を、沖縄という尊厳を、沖縄の存立基盤の意味を模索した選挙となった。民主主義にはまず自分が何たるかを自覚すること。そして、自分の暮らしから主張をすること。沖縄の平和のために、米軍基地はむしろ問題となる。こうした結論に至ったのだ。
その翁長氏の思いに、沖縄公明党も公明党本部からの指令を無視して、自由投票を持って翁長氏を支持した。平和は上から与えられるものではない。その沖縄公明党も名護市市長選挙では辺野古移設繁体の現職市長の稲峰氏の支持をやめている。この背景で起きていることがアベ政権の怖さだ。ありとあらゆる汚い手段を用いて、裏側から、画策が行われている。しかしこうしたアメリカ依存の平和が極めて危険度が高く、自らの手で、国の平和を考えるという姿勢のないアベ政権では日に日に日本が危険なところに追い立てられることになる。日本人一人一人が。自分として、自分の平和をどう守るのかを考えなければならない。まずはアメリカに帰ってもらう事だ。アメリカの核の傘はアメリカの意思だ。中国の核弾頭も、ロシアの核弾頭もある。すべての核廃絶以外平和などあり得ないのだ。それを主張できるのは核を保有しない、アメリカの核の傘にない国が主導すべきことだ。翁長氏が命を懸けて主張したのは、そういう事だったのではないか。