杉田議員の計算
自民党の杉田水脈(みお)衆院議員(比例中国ブロック)が月刊誌新潮45へのへの寄稿でLGBTなど性的少数者について「子どもを作らない、つまり生産性がない。だから税金を使うのはどうだろう」と書いた。それについて、自民党の二階幹事長は人にはさまざまな意見があるのだから、それはそれででいいのだろうというような意味不明の記者会見をした。全く理屈にもならないが、なかなか両者連携の取れた計算された行為と考えた方がいい。人には様々な考えがあるからこそ、こういう人権無視の意見が許されないのだ。子供を産まない人間が生産性がないという言い草はあまりに、ひどい話ではないか。生産性のないものに対して税金を使っても無駄だという思想はいくら拝金主義と言えども恐ろしい。杉田議員の考えこそ、他者を排除する様々な意見を認めない考え方なのだ。子供を産めない、産まない人々に対して、自分の生き方としては違うと考えるのは勝手なことではある。しかし、子供を産まないからと言って、差別されなければならない理由は全くない。杉田議員を調べてびっくりしたのは、同じ人には見えない議員顔をしている。その時々で顔がまるで違う。仮面を付け替えているのだろうか。
世界の人口爆発を考えると、地球が危機的状況に陥っているのは人口増加が問題である。人口増加を、良しとするか悪とするかは、それぞれの考え方である。国家が人口問題の議論そのものを、こうした弱者いじめの感情論で封殺してはならない。杉田議員が何故こういう狭量な考え方を、新潮45に文章を持って、もっともらしく展開したかである。多分視野の狭い頭の鈍い人のように見える。客観的に自分の意見を理解できない人のように見える。それでいて衆議院議員になって勝者意識のつよい、嫌味な議員様なのだろうという事は確かだ。政府の人口増加政策を鵜呑みにして寄りかかっているに過ぎないなどと、思わせているのだと思う。そして、明治の保守回帰の、女性差別や性的少数者差別を垂れ流し的に、吐き出している。とつい考えてしまうが油断してはならない。もし本気で単純にこんな意見をさすがに書かないだろう。何か裏があると考えた方がいい。これで騒いでいれば、モリカケ問題など過ぎ去るのだろう。こういう忖度の点数の稼ぎ方もあるのか。
LGBTなど性的少数の登場が、人類のセイフティーガードなのかもしれない。人類の未来の展望がそう楽観できなくなっているという自覚をする必要がある。こういう状況の中で、単純な生産性云々で大上段に語ったところで何の解決にもならないだろう。あらゆる人間が自由にその人自身の個性や思想に従って生きて行ける社会こそ、日本が目指すべき社会だ。杉田議員のような人であっても尊重はされなければならない。杉田議員のような私にしてみれば、生産性を大いに下げる人に対しても、議員である以上無駄な税金を使うことだって、否定はしない。こんな意見を良しとして言わせておく、自民党というものの傲慢な先祖がえりを、何としても押しとどめなくてはならないという方向だろう。杉田議員は自民党女性議員としての自分の立ち位置が、自民党内で何を発言すれば、喜ばれるかを良く知っているのだ。二階幹事長が本音としては、何を発言して欲しいかを察知している。忖度だけはできる人間なのだ。こんな議員ばかりの政党になった。
そして様子を見ているのだ。国民の本音の反応がどこにあるかを計っているのだ。国民の本音が、LGBTなど性的少数をどうとらえているかを観察しているのだ。それを政策に生かそうというのであろう。現在地方行政によってかなり違う対応が行われている。これをどう落とし込めば自分に有利であるかを、政府は見定めようとしているのだ。その為に杉田議員は新潮に記事を掲載させたのだ。かなり用意周到なバカ振りなのだ。馬鹿仮面をかぶっているからと言って油断してはならない。アベ木偶政権はすべてが、木偶仮面なのだが、なかなか手ごわいのだ。政権を維持するためには手段を択ばない。情報収集者が、有権者という池に起こるさざ波の起こり方を観察しているのだ。そこでこうした石を投ずる人間が登場するのだ。ビックデーター政治と言えるのかもしれない。むしろ差別を望んでいる人がどのくらいいるかなど、冷徹な観察をしているはずだ。正義よりも、支持率アップ。