憲法と参議院合区

   

昨年の7月ごろ自民党内の憲法検討会では参議院の選挙区を一県最低一人という事を憲法に明記すべきという案の議論を始めた。そして、9か月経過して憲法に参議院の議員配分を明記するという考えを、憲法に明記すると決まったようだ。何で、憲法に書き込まなければならないことなのか、意味不明のことだ。現在も法律で定員の配分を行っている。法律で配分すればいいことである。法律で解決できることをわざわざ憲法改定を行うなど、憲法の意味を軽んじている。参議院を廃止して、衆議院だけにするという意見も自民党には強い。確かにこういう改定であれば、憲法に明記しなければならないことであろう。定数の配分を憲法で決めなければならないとすれば、日本の民主主義はそこまで機能していないという事になる。党利党略で有利な小選挙区制を手放さないのが、自民党である。最大の政党が自らの有利に向けて選挙制度を変えようという事は、まさに独裁政権が永遠の政権担当を憲法で保障しようという時に行うやり方である。

法律改正で済む問題を憲法に明記すると主張する根拠は、憲法に武力主義を盛り込む改正を曖昧にしようという戦略に過ぎない。法律で済むことを様々憲法に盛り込むべきという条項が提案されている。すべては憲法9条の問題をあいまいにすべきという策略である。いま議論すべき憲法の問題は9条2項の武力不保持である。他の憲法の問題をこの問題を薄めるために使う事は、日本の憲法の平和主義をどのように考えて行けばいいのかを、国民が向き合う事を避けて通ってしまう事になる。この手法はアベ政権がいかにも姑息な集団であることを示している。9条に自衛隊を持つことを書き加えるというのが、アベ政権の憲法改定案のようだ。拡大解釈を広げよう案である。今までも、自民党は憲法の精神を逸脱する拡大解釈をしてきた。今や海外に戦力を派兵可能にまでしてしまった。ここに自衛隊を書き加えることで、完全に平和主義が崩すことができると考えているに違いない。

自民党の大半の議員の本音の考え方は、こんな生ぬるいごまかしの憲法改正ではだめだとかんがえている。完全に9条2項の武力不保持を削除せよ、という意見であるのは間違いない。石破提案では明確にそのことが主張されている。それで国民が受け入れるかどうかの判断に迷っているに過ぎない。そこまで言えば反発を食うかもしれないという戦略だけが見える。3項として自衛隊を書き加えることで、1,2項を拡大解釈で覆せるから問題はないという、実にアベ政権らしい姑息な主張なのだ。憲法を軽んじている。国民を甘く見ている。確かに、アベ政権は危険で巧みだ。公明党が容認できる範囲を見定めている。石破案では公明党は共同提案できない。しかし、加憲と以前から主張している公明党案に便乗して、公明党を取り込みながら、憲法の精神の拡大解釈を可能にし、憲法の本質を変えてしまおうという考えだろう。アベ政権らしい現実主義である。

何故、武力不保持の憲法9条があるかといえば、第2次世界大戦では、周辺諸国にとっては日本は恐怖の帝国主義国家の側面があった。帝国主義的に東アジアに覇権を持とうとしたのだ。台湾、朝鮮半島を植民地として、満州国を傀儡政権として樹立する。アジア全域の盟主にならんとした歴史がある。その内容の解釈は様々あるだろうが、支配された側にしてみれば、日本は恐怖の暴力国家に見えて当然である。ナチスドイツと同盟を結ぶ様な現代で探せば、北朝鮮のような手に負えない国だったのだ。国民は火の玉になって軍事競争の奴隷のように駆り出されていたのだ。9条はその贖罪をこめたものでもある。日本は根本的に生まれ変わり、武力不保持で平和国家として歩むので、許してもらい、付き合っていただきたい。貿易もしてください。こうして戦後経済成長を遂げることができたのだ。今になって時間が経過したので、9条に自衛隊を書き加えますでは、世界はまた日本が武力主義国家になるのではないか。油断できないという眼で見られることになる。日本の平和憲法は世界の希望なのだ。

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