河野外務大臣の核抑止論への批判
ICANがノーベル平和賞を受賞した。核兵器禁止条約の締結を進めたことが評価された。本来であれば、日本の非核団体が受賞しなければならないノーベル賞であった。日本政府の曖昧な態度が問題視され、日本の団体の直接の受賞にはならなかった。被爆国日本が禁止条約に加盟しない、二枚舌を世界から蔑まされている。日本政府は核兵器禁止条約を空想的するぎるとしている。被爆国、平和憲法の国日本の基本の姿勢が揺らいでいる。核保有国という現実に押し流されている日本。河野外務大臣は核兵器廃絶という目標は同じだが、その道筋が違うと詭弁を弄している。河野氏の主張する核軍縮を日本政府はどのような形で行っているのだろうか。核兵器禁止条約以上に絵空事にしか見えない。今現実に政府がやっている核軍縮の行動が将来の核廃絶に有効であると考える人などいないであろう。核保有国に対して、主張が出来ない日本に何ができるというのだろうか。外務大臣であるなら言葉だけではなく、具体的に核廃絶の道を国民に分かるように進めて見せてもらいたい。
北朝鮮の核ミサイルを核抑止力で抑えられると考えているとしたら、情勢の読みが甘すぎる。北朝鮮が核ミサイルを発射するときは自暴自棄に陥った時か、先制攻撃を受けた時の逆襲であろう。このどちらにも、核抑止力は働かない。抑止力は狂気の相手には無駄なのだ。そもそも戦争をやるなどまともな心理状態ではない。自分の命が斬首作戦で常に狙われている金正恩である。半分狂気のなかにいることだろう。今は必死に時間稼ぎをして、アメリカまで届く核ミサイルを作ることを目標にしている。それが出来るまでは北朝鮮からの核攻撃は行わないだろう。しかし、完成した暁にはアメリカと対等な立場になるという妄想を起こしている。戦争につき進んだ日本帝国を思わせる。今北朝鮮が発射しないのは、核ミサイルの準備時間がいるからに過ぎない。この状況下で、北朝鮮が核攻撃をすれば自滅するから、核攻撃事態を我慢するだろうなどというのは、楽観的空想にしか聞こえない。
北朝鮮に核攻撃をやめさせるには世界の核保有国の核放棄を進める以外にない。それは確かに核軍縮以上に簡単なことではない。核廃絶を正面から掲げ、核兵器禁止条約に加盟して、少しでも努力するのが日本の憲法で示された、国際紛争の解決に対する平和的努力である。日本が核の傘から離れ、平和的努力をひたすら行えば、北朝鮮が日本への攻撃はしないであろう可能性の方が、抑止力で核攻撃を防ぐより安全性が高い。確かに日米軍事同盟を、すぐに破棄するような転換は危ういことだろうが。その方向を示し、努力してゆく以外に世界の崩壊を止めることは出来ないと思う。これは確かに理想論過ぎるとは思う。しかし、核の傘の下にいながらに、核軍縮を呼びかけるなどという事がそれ以上に現実離れしている。同じに空論であるなら、理想論に向けて進む方が、人間らしい選択であろう。
北朝鮮は最後の狂気の国ではない。今のように世界中の国家に核大国の言いなりになれという理不尽はいつまでも続くはずがない。イスラム国が崩壊したように見えるが、実際はテロが世界に広がった結果になっている。テロの起こる根源の解決がないのだから、テロ行為に掻き立てられる抑圧された人が、今まで以上に生まれてくる。競争の原理の矛盾である。強いものがやりたい放題でいいと言うのが、トランプアメリカ方式である。核抑止力である。そのトランプですら、北朝鮮の核攻撃で初めて自分の危機を感じ始めている。トランプは無謀にもイスラエルの首都としてエルサレムを宣言した。テロリストに口実を与えた。背中を押している。アベ政権はなにもトランプ批判が出来ない。世界は混乱にますます進む。人権と同じで、国家の尊厳は強者であろうと、弱者であろうと、同等に尊重される必要がある。軍事力で他国を平伏させようなどという考え方には道理がない。道理がないことは必ず破たんする。破綻する前に日本がトランプの枠組みから抜け出る必要がある。その方が現実的選択となってきている。