水彩画の批評
石垣で描いてきた3枚。
アートホテルから見る景色は6時になってもまだ夜景である。畑や田んぼが一段落したら石垣島に来たい、来たいと考えていた。石垣の田んぼの絵が描きたかった。ここ数年描いて居る田んぼを描いて見たかった。少し考えが煮詰まってきている気がしていた。水彩人の仲間3人からの指摘が心に残っている。
栗原さんからは、「笹村さんはまだ描くべきものを見つけていないのだろう。」こういわれた。
大原さんからは、「違うサイズの絵を描いて見た方が良いのではないか。」こういわれた。
松波さんからは、「絵画にしようと思って描いて見たらどうだろうか。」こういわれた。
それぞれの言葉はそう単純な意味でもなかったようだが、あれこれ考えてつづけながら2か月ほどが過ぎた。頂いた言葉をかみしめながら描いて見ている。といっても描いているときは、何か理屈を考える脳は働いていない。呆然とただただ描いている。終わって思うことだ。
栗原さんの言われる描くべきものは私には田んぼである。そう私自身はそう考えてきた。私の今まで描いてきた田んぼの絵は、まだ私自身が描くべきと考えている内容に至っていないという事なのだろう。田んぼという現実の奥にある、絵に描こうとしている何ものかが、自分のやり尽くす世界という事になるのだろう。これが遥か彼方にある。だからそれらしきものにまでしか到達できないでいる。田んぼを通して何を描かんとしているかである。絵の上で自問し続けるしかないという事だろう。今のところその自問が絵に表れてもいないという事になる。何の弁解もできない状況である。田んぼを描いているのではなく、田んぼという素材を通して絵を描こうというのだ。絵というものが良く分からない以上なかなか描くべきものに至ることができない。絵が分からないのではなく、わかっている自分がインチキなので、ついつい、絵らしきものによりかかりそれらしき絵を描いているということなのだろう。
大原さん指摘は、同じ大きさを描き続けている内に、絵が手の内のものになっているという意味かと思う。描き出しの点の大きさ、線の長さが、完成した画面においてどにょうになるかが見えてしまっている。システム化された水彩技法を否定しながら、笹村描法がシステム化されてきているのではないかという指摘なのだろう。さすが技術系大家らしく見てくれている。私の絵が堂に入ったというように見る人はまず大原さん以外には居ないだろう。絵を描くという事は絵を描きながら、模索するという事のはずだ。その制作の摸索こそ絵の醍醐味である。これを失っているという事になる。私にとって絵は模索や思考を助けるものだ。見ているという現実が、画面の上に表われてくることが何より重要である。その見ているものが何かということになる。挑戦する心を失いかかっているということにもなる。絵を描くということが自己否定の道だということの確認。
松波さんの言葉も重い。絵らしい絵を描くという事を否定しながら、絵を作るという事を否定しながら、絵を描くという事はどういうことになのだろうか。絵を描くという時に絵作りを否定するという事は言葉では簡単である。ところが実際にそのような気持ちで絵に向うと、出てくるものは学んだものである。子供の頃から学習してきた絵画というものが登場する。すべてが消えてくれるわけではないという事までは分かった。もう一度、絵を制作するという気持ちになって絵を描いて見たらどうだろうかという指摘である。「たいして違わないのではないだろうか。」とも言われた。実際にやってみている。違うようでもあり、違わないようでもあり、自分の逃げる気持ちのごまかしにぶち当たるようだ。
この3人の言葉を考えて、石垣の田んぼをまた描いいる。絵を描いているときは全く何をしているのか、実はわからない。ただ絵を描くということにのめり込んで、ひたすら描いているだけである。終わって目が覚めたようにこんなことをしていたのかと思う。ブログを描くような脳の動きと、まるで関連していない。目の前の風景にのめり込むからかもしれない。家に帰りアトリエで筆を加えるとまた違ってくる。多分そうなのだと思うが、筆をくわえられるのかどうかはまだわからない。