立憲民主党に期待する
立憲民主党は日本の平和主義という理想主義を掲げた政党である。リベラルな政党である。この党に期待をしたい。新しくできた政党に期待するというのは初めてのことかもしれない。共産党や社民党は共産主義、社会民主主義を掲げた政党である。共産主義への道筋が理解できない。それでは世界の資本主義経済に適合できないと考えている。共産主義も、社会主義も正しい方角だとは思うが、世界全体の経済状況をみれば、当分は無理だ。世界の資本主義は自己利益が肥大化し、ゆがんできた。競争主義や能力主義を超えた、新しい自給経済を見つけなければならないのだと思う。その担い手として立憲民主党に期待したい。民進党のどうにもならなさを、現実的な目を持った政党に生まれ変わらせてもらいたい。理想を掲げたうえで、現実をこなしてゆく視野を持ってもらいたい。
立憲民主党が誕生したとき、報道では民進党のリベラル勢力と説明されていた。なんとなくわかる用で不適切な言葉だった。報道機関は適合する言葉を探したが、見つからなかったので、安直に使うしかなかった、という言葉のような気がした。民主党左派勢力と使う訳には行かない。民主党その物を革新勢力というのもあるかもしれない。自分はどう使のかと思ってさかのぼって調べてみた。平和憲法勢力というように書いている。リベラル勢力よりはましな言い回しではないか。何故リベラル派という言い方がおかしいかと言えば、言葉の使い方が違っているからだ。自民党内のハト派というのが昔あった。平和憲法を支持した人たちを意味した。宇都宮徳馬氏という人がハト派と呼ばれた記憶がある。そういう意味では河野洋平氏もハト派と言って良いのだろう。ここでもリベラル派とも呼ばれた気がするが、いずれも今の自民党では絶滅危惧種1類である。
ハト派と呼んでリベラルとは呼ばれなかったのには理由があると思う。自民党に存在しているのだから、平和主義的な保守政治家というものを表すには、ハト派の方が適切であったのだろう。今回の立憲民主党ではハト派とは呼べない。つまり、左翼政党であるはずの、民進党の中の平和主義勢力。情けない話だが、左派勢力内の武力主義勢力が前原氏を中心とした勢力で、これらを左派と呼ぶにはさすがに迷いはあろう。ほぼ自民党であり、自民党に合流したからと言って、ハト派とは呼べないような人たちな訳だ。当然、中国やソビエトが軍国主義であることと同じで、どのような思想の国であれ、社会主義であろうが、共産主義であろうが、武力主義というものはありうるわけだ。その意味で、自民党ハト派は適切な言葉選びの結果だ。しかし、民進党平和勢力をリベラル派と名づけたのは不適切な表現である。リベラルであるという事は、本来日本を担う保守政党が、自由民主党と言う位で、自由や平等や民主主主義を重んずるという意味ではリベラル政党のはずだ。
所が自民党はリベラル政党は看板文字だけで、今やソフト独裁政権になろうとしている。総理大臣が森友、加計問題という自からの疑惑の追及逃れで、衆議院を解散させてしまうような身勝手この上ない政党である。どこに看板文字の自由や、民主主義が存在するというのだろうか。ご都合主義の独善政権である。しかし、ソフト独裁の怖い所はこれほどの横暴が行われていても、自民党支持者が存在するというところにある。自分には得そうだという人がたくさんいるとしか思えない。トランプ政権と同じ独善を抱えているのである。自分の損得だけで、つまり自分ファーストを政治に期待するのだ。自分にとっての損得で政治の方向を判断するのを選挙だと考えている。選挙は国民各々が理想社会に向けて選択するのが本来のすがたのはずである。残念なことに、ソフト独裁が生んだ、忖度精神が社会全体に蔓延しているのだ。保守政治家の大半は我が身の為だけに政治家を目指す時代になった。自民党というレッテルに就職したい、下卑た野心家たちである。