ベイシックインカム とは何だろう。
希望の党の公約の中にベイシックインカムという言葉があった。なんとなくは聞いていたが、よく意味は理解していなかったので、この機会にどういうことかと少し考えてみた。実にシンプルな考え方で、国民等しく一人一人に6万円とか決めて、支給する制度である。その一方で社会保障を止めてしまう。今までの社会保障は弱者に支給するという考えたかであった。老人、病気の人、働けない人、生活できない人。等々である。ところが、誰にも等しく支給して、後は支給しないという考え方である。私は問題もあるが、良い制度だと思った。フィンランドやオランダのような社会福祉先進国で、現在実験的に試みられているようだ。一番心配されるところの労働意欲の低下という事はあまり見られないと言われている。
競争の激しい社会の中で、自由に人間性を育むという事が困難になってきている。私のように、農業をしたいと考えても、それで暮らしてゆくのはなかなか難しいという状況だ。国際競争力のある農業、大規模な企業的農業が言われる。その状況下のんきに農的生活をしたいというようなことは甘い考えと切り捨てられる社会である。こうして農業を基盤としていた、地方の中山間地の集落が崩壊を始めている。農業の競争には初めから負けるに決まっている。自然や経済地理的条件が支配するのが農業である。企業が有利地域で補助金を受けて、大規模農業を行えば行うほど、立ち行かなくなるのは当然である。それは努力や工夫が足りないからと言い切れないはずだ。それはどの分野にも同じようなことが生まれてきているのではないだろうか。格差が存在し、生きづらい社会になり始めている。
ベーシックインカムには批判も多く、財源の問題、労働意欲の問題、経済的な競争力の問題。等が言われるようだ。財源で言えば、日本の社会保障費は増加の一途を辿り、2016年度の総額は約118兆円である。そのうち医療の約38兆円を除くと、約80兆円が給付されている。これは国民一人当たり、6万円が支給されているのと同じ額であるのが現状である。2025年には150兆円が社会保障費になる。その内医療費が50兆円。この額は国民一人当たり、8万円が支給される額になる。だから、ベイシックインカムは給付対象が変わるに過ぎないともいえる。例えば、生活保護世帯以下の暮らしの人が、1000万人存在するとみられている。そういう人たちの生活が、『ベーシックインカム』によってかなり改善する。一律支給だから行政コストを大胆に削減できるのではないか。行政の支援の手が届いていない人たちにもお金が行き届くメリットは大きいだろう。少なくとも誰しも嫌な負担感なく支給を受け取れることになる。
地方再生につながる。地方の山村で生まれたものとして、地方の消滅ほど情けないことはない。暮らしの条件の悪い山村へき地でも一律支給があれば何とか暮らせるのではないだろうか。地方の山の中で、10万円の現金があれば、自給生活を行う事ができる。家があり、食べるものは自給する。そして8万円の現金があれば自由に生きることができる可能性が高まる。何といっても問題は財源であろう。今のままでも社会保障は破綻が近づいている。それが消費税の増税と言われている。消費税増税は止む得ないと思う。しかし、シンプルに主食の米だけは無税にする。これが日本の伝統文化を維持する唯一の方法である。ベイシックインカムが出来れば競争社会から降りることへの恐怖が薄らぐだろう。死ぬときが貯蓄額が一番大きいなどという不安社会は早く終わりにすべきだ。