藤井4段の29連勝の理由
藤井4段が29連勝をした。将棋というゲームの成り立ちからして、信じがたいことが起きた。まだ14歳である。コンピューターがもたらした天才なのだと思う。藤井4段がプロになって以来の36戦を不思議な将棋と思いながら見てきた。なかなか理解しにくい将棋だと思う。理解しがたいから、研究して対戦している人達が勝てなかったのではなかろうか。羽生将棋というものがあって、はぶマジックと言われていた。それは、従来この形で進めば相手は勝てるという形の先に、実はそれまで勝利の筋道の観念を打ち破る罠が仕掛けられていて、勝てると思い進めていた相手にとって、驚きの指し手が待っている。まさか、ここでこの手があるのかという意外性が、マジックのような勝ち方と呼ばれた理由だ。素人の私レベルのものにも、その驚くべき指し手には魅力であった。相手にしてみれば、勝てると考えていた流れをひっくり返されるのだから、これは別次元の将棋ではないかという驚きがあった。その意味で羽生将棋は理解しやすかった。
藤井4段の場合、今もってなんで29連勝もするのかという信じがたい思いが、プロ棋士にはあるのではないか。今までは終盤力で勝つと言われていた。つまり、藤井4段が詰め将棋では、小学生の時からの最強である。他の人よりもかなり早い段階で詰みまで読み切ると考えられていた。負けた人の感想が、中盤まで良かったのだが、終盤にミスを出し負けにしてしまったと、大抵の人が感想戦で述べている。プロになってからの36戦を見直してみると、そういう勝ち方でもないというのが私なりに分かってきた。一言で言えば、ミスが少ない驚異的な精神力の持続し続ける将棋のようだ。将棋というのは最後にミスをしたものが負けるものだ。良い手を指して勝つというより、悪手を指して負けにしてしまうものだ。羽生将棋には勝利に導く一手があったわけだが、藤井将棋にはそいう妙手が少ない。プロ棋士でも想像しがたい手が出るというより、間違えが小さい。最善手ではない差し手を指してしまったとしても、その後にミスが続かない。その内必ず相手がミスを指してしまう。もちろんミスと言えるかどうかは微妙なのだが、ミスを指したいう事になるような流れに持ち込む。
一手一手の局面の分析で、それ以前の流れを持ち込まず、常にその場を新たな局面として見ることができる高い能力のようだ。この能力をコンピュターから学んだのではなかろうか。コンピューターは案外に局面判断が悪い。良いと想定する場面が実は判断を誤っている。次の場面の判断を自分良しと考えてしまうために、案外につまらない負け方をする。ミスで負けるわけではないのだ。もし、次の局面判断が正確にできるようになれば、一段階強くなる。成功体験を引きずらない。好手を指しても、自分の好手の意味を消去して、新たな場面として次の最善手に向える。コンピューターには疲労とか、動揺とかがない。常に自分の持つ能力の100%を出すことができる。どうも藤井将棋はいつも最高の能力の出せる、負けない将棋のような気がして来た。
絵を描いて居て、それまで描いた画面に拘るものだ。それを何とかしようとする。実は目の前の描こうとしている現実は、その先にはないとしても何としても、描き出してしまった目の前の画面に引きずられて描き続けてしまう。それを何とかしようと考えてしまう。それが普通のことだろう。将棋には対戦相手というものがある。絵には相手はないが、描こうとしている世界はある。その世界をどこまで表現しているのだから、自分のやり方とか、自分の癖とか、そいうものを取り払うことが重要なのかもしれないと考えることができた。描き出しも、一息ついた時も、描き継ぐときも、つねに新たな気持ちでゼロから描けるのかどうか。それが精神の強さなのではなかろうか。そういうことを藤井将棋を考えていて気が付いた。