原発事故賠償責任
東京電力に対して賠償請求を続けている。東電と話し合うと、必ず問題になるのが被害を証明する書類である。例えばお茶摘みの会の会費を集めたとすれば、その会費の領収書の写しはあるかというようなことになる。それはない。前年度の利益と比較してどれだけ、原発事故後利益が減少したかについて、納税証明書を添付してくださいという事になる。これもない。あしがら農の会はNPO法人であり、利益を上げていない。お茶摘みの会の会費は3000円だが、領収書は出していない。経費全てを折半で捻出し、誰かが利益を上げるという事はない。それは、原発事故以前もそうであったし、今も同様である。あしがら農の会の目的は、地域の耕作放棄地を農地として守る活動である。利益は上げないし、会員名簿もない。その為に放射能被害があったことは事実であるにもかかわらず、東電の要求する書類を整えることは出来ない。補償は公平でなくてはならないし、国が補償するという側面もあるから、書類が優先されるという事になるのだろう。
原発事故というものがあまりに膨大な被害をもたらしたものであり、又その放射能による被害の広がりは尽きることのない広がりがある。その無数にある被害に対して、公平に対応するためには、統一基準が必要という事である。結果被害の申告を東電の仕様の被害証明書でなければ対応しないという主張になる。しかし、一般の営農農家の放射能被害と、ボランティアを活動の基本としているNPO法人を同じ様式の書類で、統一してしまうというのでは無理がある。営業と社会事業と同じ定規ではかることは不可能である。NPO法人をどのように被害として見積もるかである。除染作業を人を雇用して行えば補償されるが、ボランティアで行えば補償されない。営業利益に当たるものは、実費主義の運営が行われているNPO法人の会計の中で、どのように算定すれば良いかである。被害があったこと自体は、誰もが認めるところである。製茶したお茶を廃棄処分し、お茶畑の除染を行ったのである。その作業の写真は残されている。放射能の測定値もある。除去した土壌の山もある。農の会は除染等は誰よりも熱心に行ったつもりである。
東電の職員は一生懸命対応してくれる。誠実な方だと思う。交渉をしていて申し訳ない気持ちにさえなる。先日も賠償請求に明け暮れて、うつ病になってしまった東電職員の労災の問題が新聞に出ていた。誠実な人であればあるほどつらいことだと思う。甥に東電職員がいるので心配なことだ。個人を憎む気持など全くない。しかし、農の会のような事例では、余りにおかしな補償基準に従っている。これをないことにするというのでは、社会正義に反する。NPO法人としての責任を果たしていない事にもなる。東電はかたくなでなければ、切りがつかないというのが現実なのだろう。担当者が誠実で在ればあるほど苦しむことになる。何人か対応者は変わったが、どの人も補償の対象にはできないと言わざる得ないのだ。これは人間として苦しいことと推測は出来る。表面的には人間であることを捨てているように見える。そして、病気になる。責める私の辛いところだ。
現状では被害を証明する書類がなければ、補償はできないと繰り返すのみだ。お金が欲しいなどと思って賠償請求を続けている訳ではない。もし賠償金が出れば福島の復興支援に回すことを決めている。それは東電にも宣言している。それでも、東電様式の書類がなければ補償金は絶対に払えないとの主張は変えない。果たして加害者が主張する言葉であろうか。この頑なな、一方的な言葉を聞くたびに悲しくなる。確かに裁判をするとか、弁護士にお願いするというのもある。しかし、普通の人が普通に補償をお願いするという事が出来ないという現状を押し通したいと考えている。被害者が何故被害を証明しなければならないのだろう。これが私にはどうしても納得のゆかない部分だ。世の中にはさまざまな活動が存在する。東電の様式当てはまらない活動があるのは当然のことだ。被害者がなぜこれほど悩まなければ、東電と話すことができないのだろう。これは社会正義とは何かを考える事例だとおもう。曖昧に終わりにする気は全くない。