問題は残業にある訳ではない。
サービス残業を無くすという建前が横行している。この建前を企業が懺悔のように発表する偽善。会社が倒産しても残業を減らすだろうか。国際競争で危うくなっている企業に、倫理的な正しさなど期待する方がおかしいだろう。真に受けて報道するのは報道が提灯持ちに過ぎないからだ。企業がおかしいと思ったら社員は、ストライキをすればいいのだ。それが出来ないなら辞める。日本の企業は効率が悪いそうだ。海外の企業は効率がもっといいと言われているが、それも嘘だろう。韓国は世界で一番労働効率が悪いと言われている。こういうのはすべてデーターの取り方がおかしいだけだ。日本の働き方が、外国といくらか違うという事はあるだろう。工場での労働効率が特別悪いという事はない。準備に時間を弄するとか、朝礼に時間がかかる。準備体操が要らないとか。いろいろあるかもしれないが、そんなことは大した問題ではない。
事の真相は労働効率よりも、製品の競争力は、品質である。労働投下時間が100時間の製品でも、10万円のものも1000万円のものもある。この違いが労働効率の違いとなって表れる。絵を描いて居れば、私の絵など労働効率で言えば最悪である。労働の質が悪いのだろう。原価割れ確実である。売れない製品をいくら合理的に生産しても、労働効率は良くならない。日本の製品が売れなくなっているのだ。それで安売りをするから、労働効率が悪くなる。良いものを作り、高く売れば、労働効率は良くなる。ここでぜひ確認しておきたいのは、良い製品を作り上げるのに、残業時間を気にしているようでは不可能だという事だ。寝ても覚めても、ご飯を食べているときも、新製品を発想し続け無ければ、いまだかつてないようなものを作ることは出来ない。そういう労働力の質の問題。残業云々どころではない。労働の意味が徳農家のように創造的な質になるのかどうか。この点ではどこ国もどこの民族も同じである。
ダビンチはフランスで大切にされたから、フランスに移住したのだ。企業の競争に勝つためには、人材次第である。良い人材がいて、働きやすい環境があって、その人材の十分な能力が発揮された企業が勝利する。日本が急成長したときには、日本人という誇りが影響した。敗戦の逆ばねもあった。日本のために頑張るという意識が日本企業の勝因になった。前の東京オリンピックの頃の選手は日本の為に金メダルを取るよう頑張った。今度の東京オリンピックでは自分のために頑張る。お金が主目的という選手も多く存在する。こういう状況の中、企業が能力主義を前面に打ち出して競争している。それならイチローではないが、力のある発想力のある人はアメリカの企業に行くだろう。問題はそういう労働環境にある。100の仕事を50時間で出来る人も居れば、200時間かかる人も居る。農業で見ていればごく当たり前のことだ。草を生やさず管理すれば、草取り時間は無くなる。200時間かかってよく働く人といわれても、企業では役に立たない人に過ぎないのだ。
だから、自分が認められるためには、隠れてでも残業をする。その結果給与が倍になれば、むしろ労働効率が良いことになる。こんなことは新聞社の人や、テレビ局の人は日々の仕事で身に染みていることだ。よくも白々しい報道を繰り返しているものだと思う。正直に考えた方が良い。良い絵を描くために、残業は良くないなど言う人はいない。良い仕事をする環境を作ることが大事なのだ。良い自分の暮らしの環境を作るために精一杯働けばいい。企業がブラックなら白くなるよう戦えばいい。戦えないなら、止めればいい。新発想が要求される仕事こそ新しい発明を伴う、良い仕事である。良い仕事の方角は自分を、自分の暮らす地域を、自分の暮らしている国を幸せにするためのものであるかどうかだろう。ここに、残業禁止を持ち込むようでは日本が終わりである。