12月の夏野菜
小田原久野舟原では有難いことに、12月16日でも夏野菜が実る。雪も降った。霜も毎朝降りている。0度以下まで気温も下がった。それでも、鶏小屋の前の陽だまりのシシトウはまだ実をつけている。葉も緑を残したままで、もう少し頑張れそうだ。下の畑は大麦が2枚目の葉を出そうかというところだ。特に凍りそうな感じではないが、昨年田んぼの川沿いの大麦はこのぐらいで凍結して枯れた。大根の葉は25センチくらいまで両手を広げている。小かぶは10センチぐらいの葉を立ち上げた。小松菜はそろそろ食べれそうな大きさだ。ほうれん草は5センチくらいの葉を出している。今年は弱ってしまう事なく生育を続けている。土壌がやっとほうれん草が育つものに変わったようで嬉しい。石灰を入れないで我慢した甲斐があった。ソラマメは30粒ほど撒いたのだが、全てが発芽している。春までこの調子でゆくことだろう。里芋は食べる時に掘ることができるだけ充分にある。
ケールは10本あるのだが、いつでも葉が取れるまでになっている。寒さにはびくともしない。ブロッコリーの方が生育が負けてきた。ハウスの中の正月菜は雑煮に使う頃にはちょうど良くなりそうだ。毎年雑煮の為だけに作る。そろそろハウスの中に踏み込み温床を作るつもりだ。落ち葉取りをやらなければと思う。ハウスの中には湘南ゴールドが2本ある。今年は実をつけなかった。来年はどうだろうか。実るものならそろそろ花がつきそうなものだ。一昨年は2,3個だけ実をつけたのだから、成らないのは何か状態に問題があるのだろう。ハウスにはドナセラがある。父がお店を新築した時に千葉のおじさんがお祝いにくれたものだ。60年は経っている。観音竹もある。これは大黒屋というおせんべいやさんをやっていた、浅沼さんが八丈島から持ってきてくれたものだ。八丈島で観葉植物の栽培が始まったころのものだ。これも60年は経っている。何度も引っ越したのだが、ここまで持ちこたえてくれて、古い友人のような感じがするまでになった。
枯れかかった、アロエがある。外に置かれていて、根を雨でやられてしまった。腐りかかっていたのだが、もしかしたら生き返るかと思い、ハウスに植えこんでみた。全く変化がない。枯れるでもないし、生き返るようでもない。春まで持ちこたえれば復活するかもしれない。いつもそうなのだが、生き物には未練が残る。私が居なくなれば、こういうもの達は枯れるのだろう。それを受け入れる以外仕方がないと思うのだが、私も土にかえり、私がかかわった植物も土にかえる。そのようにすべてが消え去るという事をまだ受け入れられたわけではない。無理に納得する気もない。半分腐ったアロエを見捨てることができない。夏野菜の片付けがどうしてもできないのは、まだ実らせるシシトウに気持ちが入り込むからだろう。有難く重ね煮にして食べさせていただいた。
自給生活を始めて、30年近くになってやっと毎年の作物の流れを体感できるようになった。田んぼなら、暖かさを感じると籾を川の水に浸けて、など自然に体が思い出す。麦や大豆、様々な野菜も、それぞれに蒔き時が来ると、思い出して蒔きたくなる。自分の身体的な循環の感覚と作物の生育とが、連動してきた。30年の繰り返しの長さを思う。きっと昔のお百姓さんは、いつも季節が身体の中にあったのだろう。ハエを見かけて、きゅうりを蒔く気持ちになったりしたのだろう。最近少しお百姓に近づけたようだ。年月が経つという事も悪いことではない。いよいよ寒さがきつくなる。しかし、タケきり、樹木の伐採。畔の土木工事。冬の作業は続いてゆく。これまたよし。