水彩人展が終わって
水彩人展が終わった。自分にとってやりつくした今回の展覧会だった。得るものがあった。やはりやるだけやれば、返ってくるものもある。自分の絵が少しづつ見え始めた。明確ではないが、ある程度方角が定まってきたような気がした。この歳になって、自分という人間が新しい世界に入れそうだという事は、幸運なことなのだろう。一番うれしいのは絵を描く喜びが増したという事になる。もっと描きたいという気持ちが湧き出てくる。昔から描きたいと思わなければ絵は描かない。半年も全く描かないで、もう描くことはないかと思ったこともあった。それでも何時でも描きたくなってまた絵を描いてきた。今も描きたくなくなれば止めようと考えている。それでも何故か、この数年絵を描きたいという気持ちが高まってきている。しかも里地里山の空気感のようなものを描き残したいという一心である。それは母方のおばあさんが見ていたものと近いのだろうと思う。
水彩人の人たちもそれぞれ絵に対する見方が違うという事も今回痛感した。それを絵が分かる人とわからない人がいるという事だとは思わない。絵の見方はつくづくそれぞれのものだ。それぞれのものだからこそ、互いの交流が必要なのだと思う。一年一年歳を取り、自分の殻が厚くなる。他人を受け入れなくなる。絵の研究が出来なくなる。それが普通のことだろうから、よほど気お付けなくてはならない。自分だけは違うなどあり得ないことだ。今回絵の見方として、人の絵と較べて評価をないという事を意識した。その人の変化をどう見るかである。その人が良い方向に変化したか、又おかしな方向に進んでいるか。それではどういう方向がその人にとって意味あるものになるのか。そういう観点からだけ見た。水彩人に出された絵はすべて写真に残してある。そして、会場の事務所のパソコンで前の絵を出しては、比較しては考えてみた。
変わる人、変わらない人。いろいろである。そして、出来るだけ作者に直接感想を述べた。少しでも参考になればと思うからである。率直に言えば、私の絵に対しても率直な意見が聞けると思うからだ。失礼な発言もあったことだろう。真剣に見て、本気の意見を言うという事は、怖いことである。命がけで描いた絵を否定したりすることになる。心を傷つけてしまう事もたくさんあったことだろう。それでも口にしなけば、展覧会をやっている意味がない。そう考えて始めた水彩人である。荷物を整理していたら、10年ほど前の絵葉書セットが出てきた。私の絵はどうにもならないような絵だった。水彩人を本気でやってきたお陰で少しは自分の絵に近づけたことがよく分かる。このあと10年やれるなら、面白いことになると思った。水彩人の仲間の存在のお陰で、自己否定できたという事だとおもう。どうしても絵を描いて居る人は自分に陶酔している。目を覚ますには仲間が必要なのだ。
水彩人展は昨年が36人の初入選者がいた。入場者数は記録の範囲で6,527人だった。そして今年は21名の初入選者がいた。そして入場者数は開催日が一日少なくて、5,500人だった。水彩人がさらに良くなるとすれば、この初入選の人たちや、多くの見に来てくれる人たちが、良い会を作ることができるかだろう。12月には石川県の白山市で水彩人巡回展がある。これを最後に私の水彩人における、主たる役割は終わりだと思っている。あとは次の世代に任せることだと思う。雑務の協力はしてゆくが、水彩人の運営にかかわることはもうない。出来ることはやったと思う。水彩人を白山市でやることになったのは、運命的なものを感じている。金沢で私の絵は始まったようなものだ。その時の仲間が北陸にはたくさんいる。見に行くと言ってくれている人も居る。こんな機会はもうないだろう。何か話につじつまが合い過ぎて怖いようだ。