第18回「水彩人展」作品評2
一般出品者の中にも素晴らしい作品があった。私が良いと思った作品について書き止めて置こうと思う。写真を載せたいところなのだが、本人の了解を得られたら後から載せる。毎年、全作品を撮影して記録している。私絵画では他人の作品との比較でなく、その人の過去の作品と較べる。だから記録しておかないとわからない訳だ。初出品の人の絵はその意味でとても分かりにくいものだ。
太田はるみ「ハーベストタイム(1)」野菜がテーブルで踊っているような作品である。構成が面白い。動きがある。画面全体のムーブマンが絵に躍動を与えている。動きこそ絵の構成の基本という事がよく分かる。私絵画の構図には、いわゆる常識はしてなければならない。自分の心の中の眺めだから、極めて自由である。その上に、水彩の使い方がとても良い。水と紙の関係に良い調和がある。だから色が美しく発色している。
武藤幸子「曼珠沙華―Ⅰ」今回の展覧会で最も水彩画の技術が極めて高く完成している人だ。赤の重複していく色の出し方と、遠くの林の消えてゆく表現、又その調和の適切さには類まれなものがある。学ぶものが沢山あった。すごい人が立現れた。絵画世界の完成を祈念する。
古賀正春「書斎の一隅」「石膏像のある静物」会員推挙。水彩画らしい色彩である。静かな空間にある、控えめの発色が実に心地よい。これ以上上手くならないでと言いたくなるほどうまい。ゆっくりと描き進めた落ち着きが、重複している色彩の美しさに繋がっている。
青木伸一朗「瀬戸田にて」のどやかな世界を持っている人の絵だ。好感第一の絵だ。ハレの日の絵。まじめで、一心の絵。真実一路。このまままっすぐに進んでもらいたい。つい間違って上手くなることはあってはならない。自分の見ている世界を、自分の方法で描くことが絵だという事を教えてくれた。
青沼光一「緑風湖山」私の先生の春日部洋さんの色彩を思い出し、実に懐かしかった。自分の色彩を持っている人の絵だ。つまり自分の世界観のある人。人真似ではない絵。私の絵に最も近い人の絵だ。何を描くのか、つまり描く世界観は何かを考える必要がある。描きたくなるという場所には、つまり自分を呼ぶ場所にはそれだけの理由がある。その理由を意識して行くことが、さらに自分の世界の絵になることだろう。
金田美智子「初夏のひと時」会員推挙良質。画格の高さがダントツである。北海道の春は亜寒帯の春で、関東の春とは大いに違う。ある日突然春が夏になる。夏になったその明るさ。季の喜びが絵に出ている。感じている世界が絵にそのまま出るという事は、めったにない天賦のことだと思う。人の繪に惑わされずには良い絵を描き続けてもらたい。
吉井美和子「5月の便り」これほど心地の良い絵は珍しい。絵の自由というものが確保されている。自由というものがどれほどの、技量と配慮の中で成立するのかという事がわかる。美しい自由の世界に至る為には、汚れや乱れが必要という事なのだろう。
川崎 美紀「8月のシロ」会員推挙。水彩を知り尽くした人の絵だ。水彩は薄い美しい着色が一番美しい。然しそれだけで描くと、絵が頼りないものになる。ところが明確なものをとらえる眼があれば、その薄い着色が極めて力ず良いものになる。淡彩画と水彩画の違いだ。油絵画家のスケッチが薄い着色で描かれる場合が多いいが、それはあくまでスケッチ画であり、水彩画にはならない。その違いをこの絵は示している。
会員推挙はあと、渡辺莞二、浅井幸子であった。