お金のいらない島
お金のいらない島を作る話が出ていた。若い人が思い立ってやっているようだ。人口70人の出羽島という美しい夢が湧いて来る島の話だ。過疎になってゆく島で、都会から来て暮らす人を募集している。若い頃なら行ってみようと考えたかもしれない。私は東京近郊の20万都市小田原で、どのようにお金の要らない暮らしができるかを模索してきた。一番暮らしやすいのがこういうところだと考えた。似ているように思うし、全く違うようにも思う。出羽島は半農半Xに近い発想らしい。お金のいらない島は新井さんという方が昨年の5月に書かれている。整理されて書かれているのでわかりやすい。その後一年3か月たってどうなっただろうかと思う。この島にも昔は田んぼがあったようだ。その田んぼを再生してみたい。田んぼを作るという事はその島の自然を丸ごと理解しなければ不可能なことだ。たぶん江戸時代にはあったであろう田んぼは、当時の住民の知恵の結晶であったはずだ。再現してみればそのことに繋がるはずだ。そういう事が面白いと私は思ってしまうが、ちょっと違うようだ。
自然界そのものが「贈与」で成り立っていることに気づく。太陽は何の見返りも求めずに光を注ぎ続ける。自然の摂理は(等価交換ではない)贈与交換の原理で成り立っていて、すべてが循環するように上手いこと出来ている。ーーー新井由己
この発想は私にはないものでとても新鮮な感じがする。自然の中で自給自足で暮らしてきたが、自然は厳しいばかりでなかなか余裕を与えてはくれなかった。自然は難解だ。自然は与えてくれるどころかすべてを奪う。と思うかもしれない。それは皮肉や批判ではなく、自然というものは暮らしのすべてを支配している、畏れに満ちている。自然の中にやっとこさっと自分を織り込ませて、つつがなくやるのが精いっぱいの所だ。またそれがそぎ落とされていい。台風が来れば小田原だけには来ないでくれと、虫の良い祈りが暮らしだ。暑ければ暑すぎると嘆き、寒ければ凍り付いてタマネギがだめになると嘆く。要するにデクノボウでオロオロするばかりだ。自然の中でゆったりと暮らすというより、自然に痛めつけられ取り残され、置き去りにされ呆然と暮らしている。自給自足には余裕はない。常に草に負けている暮らしだ。その余裕のないぎりぎりの暮らしであるから、自分というものにたどり着けるような気がしている。
それだからこそ、自然に向かい合うという事は素晴らしいことだ。人間同士の協力が不可欠だという事に気づくことができる。自分が生きるという事は、どれだけ多くの人の助けによって生きているかという事に気づく。過去の蓄積された知恵の大きさにどれほど感謝することになるか。自分の小ささを痛切に感じるはずだ。そして、どのように自然の中に自分を織り込んで生きるのかと考えることになる。昔ヒッピーと呼ばれる人たちがいて、自然の中に入り自由な暮らしをしようとした人たちがいた。私と同世代であるから、今その人たちが老人になっている。知り合いにも何人かいる。今もそういう暮らしを続けているという事は、50年もやり抜いた人達だ。ぜひ、お金のいらない島に行く前に訪ねてみることではなかろうか。
私は高校生の頃僧侶を目指した。名古屋の有名な禅僧が大工の手伝いをしていた話に興味を持った。みんなに尊敬を集めていた人が、ある時お寺からいなくなった。何年かしたときに誰かが、名古屋で大工の手伝いをしていた人がそっくりだというので見つけ出す。何故、お寺を離れたのかとお聞きしたら、何処にいても何をしていても同じになった。と言ったという話である。仙人にならずに、もう一度街に出るという発想に魅かれた。私も山北の山中で13年開墾生活をした。そして小田原に出て15年だ。そういう選択をしたのは、名古屋の坊さんの話が頭にあったのかもしれない。ヒッピーの時代は地方は排他的だった。今は入植者歓迎の素晴らしい時代だ。ぜひ、自然の中にぶつかっていってもらいたいものだ。その体験は街に戻った時にも無駄にはならないだろう。