津軽金山焼の皿
金山寺焼きの中皿と小皿。中皿がカレー皿ぐらいか。
たまたまヤフーオークションで金山焼きの器を見つけて購入した。備前焼というジャンルに入るように、出品されていた。なかなかの味がある焼き物ではないか。土が面白い。青森の五所川原の焼き物だ。素朴であり、素人作りのような様子をしながら、頑固な焼き物だ。1985年に松宮亮二サンという方が始められた新しい焼き物という事である。伝統的なものではない。素焼き(須恵器)で高温で焼く焼き物が好きだ。釉薬を使わない古い手法の焼き物だが、硬く焼しめられているので簡単には割れない。高温で長時間の焼成に耐える土であるかどうか。薪窯で高温で焼くと、変形もする。色合いも多様に表れる。灰をかぶる姿もさまざまである。人為を超えた良さがでる。あざとい人間の仕業など知れていると思わせる。にせもの備前のいやらしいこと。素焼きは購入した段階では、まだ出来上がりは分からない。使い込んでゆく過程で味わいが出てくるのかどうか、このあたりが素焼きの食器の楽しみである。この6点もどう変わるのかとても興味がある。変化してゆくか手で自分の暮らしが器の味を作り出している感じがする。使い込むほどに自分の器という気になれるところが良い。
これは朝食の並べてみたところである。備前焼の茶碗にご飯。このご飯じゃわんは素晴らしい出来のものだ。コーヒーの器は備前焼。あとは金山焼きである。
五所川原金山の大溜池の底に堆積していた良質の粘土を使うという事だ。どういう溜池なのか不思議な場所があるものだ、実に素晴らしい土だ。登り窯で1350度の高温で焼成する。松を使うというから、よほど贅沢な焼き物だ。備前焼とほぼ同じ構造の窯での制作方法のようだ。備前とはだいぶ土の様子は違う。備前は古い地層で、田んぼの下などにある土のようだ。同じ備前でもずいぶん土の違いがあり、この土の違いを理解できないと焼成は出来ない。そのためか備前には素人は居ない。一子相伝が普通らしい。食事は朝と昼の2食だ。基本はお腹が空かなければ食べないのだが、朝昼はたいてい空腹を感じて食べる。夜はお腹が空いて居れば食べるのだが、おなかが空いた感じには今はならない。こういう習慣が10年以上続いているから、慣れてしまったのだろう。お腹が空かなければ食べる必要がないと考えて、いたらあんがい夜はお腹が空かないという事に気づき、だんだん食べなくなった。と言っても健全な食事の習慣というようなものではなく、夜は飲むので食べないという感心しないものである。この写真は朝ごはんである。器は備前焼と、金山焼の物である。
こっちは食べていたら、野菜サラダが加わったので食べかけで写真を撮った。ずいぶん食べるようだが、朝食が一番食べる。右下がお赤飯のように見えるのは、石垣島の黒米を混ぜているからだ。スプーンのある白いものは、黒バナナにヨーグルトをかけたデザートである。上にパラパラ載っているのは木の実である。漬物2種とコーヒーとカシスジュース。今、オクラが採れているので、オクラを食べているが、このオクラは自家採取した品種だ。肉厚のとてもおいしいものだ。何というのか知らないが、何年か作っている。魚はホッケである。各ご飯に大抵は魚を食べる。肉を食べることは数少ない。野菜だけの時もよくある。器の色の変化を楽しみながら、食事をしている。食べ終わった器をしばらく見ている。良い土、良い焼き上がりの物は、毎日色が良くなってゆく。何か器の制作に参加しているような気分になれる。