市民検討委員会とは何だったのか
小田原では8年前加藤市長に変わった際、市民協働を前面にして動き出した。私はその前の落選した選挙の時はスタッフとして協力させてもらっていた。加藤氏との関係はあしがら農の会の初期の活動からあった。その後農業を止めて、市長に立候補するという相談を受けて、何故市長になりたいのかという事も、農の会の中でも何度か話し合いがもたれた。私なりに協力をさせてもらった。当時の加藤氏は市民参加、市民協働の小田原市という事を主政策として述べていた。そして一度落選し、次に当選をした。2度目の選挙の途中で、私は政策スタッフから外された。政策グループが置いてきぼりになった。このころから、市民協働には怪しげなところを感じていた。
当選し、行政と連動した市民協働が動き出した。様々な分野で検討委員会が生まれ、農の会の関係者の幾人かがかかわりを持った。私はごみの検討委員会への参加の希望を出した。発酵利用の自然養鶏を実践しているという事で、堆肥化の実際にはそれなりの知識もある。家庭生ごみの発酵処理については、小田原で一番詳しいはずだ。それまでも生ごみのたい肥化の活動を長年してきた。市民協働という加藤氏の理想に、私なりに協力したいという思いもあった。検討委員会が出来た時には、小田原のごみに関して検討して、その報告書を出して欲しい、という事だった。が、その結果はどういう形で議会や行政の方針に反映するのかという事が、まず最初に議論をした。これについては意見が大きく分かれたが、市の環境部が検討結果を全面的にバックアップするという事と、加藤市長もその報告書を尊重するという事だったので、最終的には全力でやりましょうという事になった。ただその時に議会との関係は気になったままだった。
2年間専門家の話を聞いたり、見学に行ったりしながら、報告書にたどり着いた。特にこの間廃棄物会計を勉強した。これには環境省に廃棄物会計の審議会があり、その委員の所に何度か伺い勉強をさせてもらった。大きな方向としては、ごみのコスト計算を明確にして、受益者負担という考えに移行したいという環境省の思想があった。ごみ処理費の地域によるばらつきが大きいという事もわかった。メンバーには会計士の方もおられたので、その方の分析や解説を聞かせてもらえたことが、勉強には大いに参考になった。焼却場の土地費や、解体費用も、ごみのコスト計算に加える必要がある。さらに、焼却場が出来ることで、地域経済に与える影響も、コスト計算に加えることができる。ごみ処分場が出来て、周辺の地価が下がるのか、道路が出来て周辺地価が上がるのか。公園を作るとか、環境に良いごみ施設はイメージアップできるメリットもあるというような、地域全体のコスト計算をどうごみ処理コストに載せて計算できるかである。
全精力を費やして報告書を書き、次段階としてはその報告書を実践に移すことになった。検討を実践にという事で、検討委員の方中心に、小田原生ごみプロジェクトのスタートになった。これはそれ以前から農の会で行っていた生ごみのたい肥化の活動の展開でもあった。市民協働のモデル事業にしたいという考えが私には大きかった。報告書ではこの生ごみたい肥化事業は最初の導入口である。次にごみステーション方式にする。そして、全体の生ごみたい肥化という3段階目に入る。それを推進するためには、ごみの有料化は避けて通れないという事を報告書では明記した。ところが、何もかもはっきりしないまま、第一段階の段ボールコンポストを市民が行うという事で、足踏みが続いた。再三再検討を要請したが、市長の態度は一向に見えない。もう駄目だと感じたので私は降りることにした。結局のところ、立ち上がりで危惧したとおり市民協働と検討委員会の位置づけの曖昧さが、頓挫の原因となった。