八重山毎日新聞

   

生まれて初めて新聞をとっている。正月から八重山毎日新聞の定期購読を始めた。この新聞の一面上部の題字の下に「視野は世界 視点は郷土」とある。姿勢が素晴らしいではないか。地域主義を世界の観点で考える。この新聞を取っていると、日本列島の一番南にいて、日本を見ているような気になれる所が良い。沖縄の新聞などつぶしてしまえという、自民党の研修会の発言に、暴力的恐怖を感じた。政府が怖がる新聞とはどんな新聞なのか、読んでみたくなった。石垣島では自衛隊の配備に揺れている。どちらかと言えば、市長と市議会の主流派は自衛隊誘致派のようだ。しかし、一般市民はそうでもない感じだ。それもあって反対派や新聞はどちらかと言えば、住民投票で決めるべきだと主張しているらしい。と同時に、賛成派は議会で決めればいいという事らしい。この先どのような動きになってゆくのか見届けたいと考えている。先日、大阪維新の会の代表質問では、地域の意思を尊重する政治を主張していた。

大阪維新の会の橋下政治は嫌悪するが、地域主義に日本の政治を変えてゆくことだけは正しいと思う。何故、安倍政権のような国の言うことさえ聞いていればいいんだという人と仲がいいのだろう。政治で一番大切なものは、市町村の政治である。そこから積み上げて、国という合意に至ればいいはずである。市町村それぞれの考え方、利害は異なるはずだ。もちろん市町村の中でも、意見は異なる。究極的には部落単位で考えを持つことが優れた政治形態だと思う。「視野は世界 視点は郷土」である。ところが、それでは国家がないがしろになると考える人たちが、主権は国にあるというような、帝国主義的な思想を固持し、政権の座にいる。主権はそもそも一人ひとりの人間にある。一人の意思が最も大切なはずだ。インターネットを政治に利用する時代において、どのように一人の意思を国の意思に反映できるかが、民主主義政治の未来の方向である。国は国民を自分一人の利害だけで動く愚かなものだと考えている。だから、一人に、そして市町村に任すことなど出来ないというのが、権力を政府が握る今の政治なのだろう。辺野古移設の進め方にそれが現れている。

そこで起こることが、議会制民主主義で出来ている、憲法とのかい離である。「普天間基地の危険除去には、辺野古移設以外にない。」という政府の国民向けの主張に、そのことがよく表れている。普天間基地の地元ですら、辺野古移設に反対だ。あの公明党ですら、沖縄支部は辺野古移設に反対だ。もし他の方法を考えられないとすれば、安倍政権は無能以外の何物でもない。本音はそうではなく、辺野古移設が一番いい方法であると考えていると、正直に言えばいい。そこから民主的議論が始まる。議論を避けるために、辺野古移設以外にないと結論してしまい、日本の防衛の議論をすることを避けている。北朝鮮の原爆が最大の危険だとしたときに、アメリカ軍の海兵隊が辺野古移設以外にないという単純な考えは、馬鹿げていないか。それは単にアメリカの命令には従うという事ではないか。韓国移設だってあり得ると思う。

沖縄で今起きていることは、日本の政治の在り方を決定付けていることである。地域の意思と国の方針をきちっと議論できるのかどうかである。国と地方が裁判で争わなければ、政策が進められないという事は、そもそも民主主義の敗北である。政府と市町村が話し合いができないというのでは、どのような結論であれ良い結果になるはずがない。住民投票で最終的には決めるほかない。そこで暮らす人の意思が最後の判断を下すべきだ。そんな動きの芽生えをどのように地元の新聞が育てているのかを知りたい。自衛隊が来ることが、石垣島を中国の脅威から守ることになるというのが、誘致派の考えのようだ。与那国島では住民投票で誘致になった。宮古島にも自衛隊は配備された。自衛隊配備の本命は石垣島と言われている。石垣島の未来を考えた時に石垣の人たちがどのように考えるかが、大切にされればいいと思う。

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