城下町ホールの仕切り直し
小田原にはお城のそばに市民会館という老朽化した建物がある。この中に、ギャラリーがあることにはなっているが、集会室で展示を行うという、全く使う気にならない悪い状態である。これを直したいというのは当たり前の話である。ところが話が出てから、30年だそうだが、これができない。上手く進まない。前小澤市長が奇妙奇天烈な市民会館を提案し、その批判の波に乗り加藤市長は当選した。そこで、新市長肝いりで、芸術創造センターというような、理想のホールを作ろうという計画が市民検討委員会のもとに進んできたように見えていた。ところが、いよいよ具体的な入札になったら、お金が足りないという事になった。このことは、小澤氏の主張した、先に延ばせばお金が足りなくなるという予測通りになった訳だ。プロレス興行を想定した市民会館にするのも困りものだが、建て直し出来ない現状よりはましだったのかもしれない。
市民会館の立て直しに対して、市の方向性が見えない。小田原市のゴミ問題にかかわって、加藤市長には意見がないという事を身に染みた。ごみの検討委員として、2年間相当に勉強を重ね、小田原のゴミ処理の方向を答申した。検討委員会の報告書を読んだのだろうかと思える。全く感想すらないまま、捨てられて終わりという感じである。私は市に対して、もうどうでもいいと言う気になった。生ごみクラブの活動は今も続いているが、ごみ処理におけるその位置づけは一向に見えない。場当たり的に方向性なく市長の業務をこなしているだけで、市長には考えというものがない。その結果、市民力などその昔主張していたという体たらくである。今回の市民ホールのちゃぶ台返しが、市長の決断というのであれば、今まで努力を重ねた人たちに対して、全く非礼だ。市民力と言いながら、市民に努力をさせて、何の見解もないまま没である。現実の市長の姿は小田原の既存の権力にへばりついて、どうにかこうにか延命を図っているようにしか見えない。
これに対して、明確な意見を述べている市会議員がいないというのも小田原の低調を示す。これが小田原評定というところか。旗色鮮明にするのを恐れているのか。自分の意見がないかである。周辺から市長の態度を批判をしている人はいるが、こうすべきという明確な提案がない。みんながすぐにつぶし合う体質があるのかもしれない。そもそも、この計画は根本が間違っているのだ。これも、10年越しで同じことを書いているのだが、あの場所に市民ホールなど無理だという事である。小澤市長の奇妙奇天烈ホールも困ったものだったが、一番は市民ホールはお城の正面に作る施設ではないという事だ。ところが、旧市街の衰退の歯止め策としての期待が、市民ホールに集中しているらしい。旧市街の人たちにしては、場所を変えるなど到底できない状況があるのだろうか。そうした空気に押されて、方向を見失ったのが今の状況なのかもしれない。
少なくとも大ギャラリーは海の見える明るい丘の上に作ってもらいたい。中心市街地には、画廊スペース程度がいい。お城の前には街の賑わいを形成できるものでなければならない。人の集えるスペースが作られる場所である。そこには当然画廊も必要であろう。小田原の伝統工芸の制作工房もいいだろう。小ホールを作り、演劇の公演も行うのもいい。小田原宿を再現したような、城下町界隈や、小田原らしい食事や食材、立ち食いが出来るのもいい。基本的に歩きを対象とした施設にすべきだ。大ホールや大ギャラリーは駐車場の取れる、別の場所にしなければ、利用するものが困る。県西地域全体の大ホールと考えるべき施設である。大ホールが一夜城あたりにできたとしても、周辺駅からバス利用を考えればいい。小田原一市のものと考えない方が良い。周辺自治体からも人が来るという事を想定して考えなければだめだ。市民に検討させておいて、不都合になったので、もう関係ないという市長の態度では、市民のやる気はなくなるばかりである。