琉球国と沖縄
高校2年の時の山川書林の日本史の教科書の、歴史地図に今の中華民国のところが、つまり台湾のところが、琉球国と書かれていた。沖縄は沖縄である。それでこれは間違っているのではないかと、歴史の菅原先生に申し上げた。菅原先生は世田谷学園に教えに来てくれていたが、東大の大学院におられたころのことだ。その後菅原先生は東大の教授になられたと聞いた。その菅原先生が、調べてみるといわれた。翌週見えた時に、台湾を琉球と呼んだ時代があったということだったと言われた。つまり中国から見ると、台湾も、沖縄もまとめて琉球と呼んだ時代があったということのようだ。中国は、大琉球国が沖縄で、小琉球国が台湾と分けた時代もある。名称は時代や関係で固定的なものではなかったようだとも言われた。日本国と琉球国は別物だったらしいとその時に気づいた。当時世田谷学園には、饒平名先生と言われる沖縄出身の英語の先生がおられた。この方は都立大の大学院に通われていたと思う。当時大学院に行きながら、講師で見える方は多かった。個性的な良い先生ばかりで、学問をする価値を学ぶことができた。
彫刻をやっていた叔父が沖縄大学での教員生活を終えて帰り、沖縄のおもしろさを夜通し話していた。熱中して聞かせてもらったのだが、もっと話を聞いておけばよかったと今になって思う。沖縄が日本と違うという側面と同時に、むしろ日本の原点であるということを父もよく話していた。沖縄の古語には平安時代の日本の言葉が残っているということだった。たぶん柳田国男氏の話していたことを子供にも語ろうとしたのだと思う。沖縄は今独立ということが言われる。中国の差し金だとか、売国奴の仕業だとか、無教養な意見を書く人間がいるが、そもそも日本国になったのは、明治になってからのことであり、しかも軍事的占領に基づくものだ。独立した琉球の長い歴史がある。日本と同じ民族文化であるが、国家としては別物として存在してきた歴史がある。
国家から、一地方が独立するという動きが世界中にある。ウクライナでは国民投票でクリミヤが独立した。そして、ロシア連邦に加盟した。それを不当だとアメリカやEU諸国は主張しているが、何が不当なのかよく分からない。気に入らないことだというのはわかるが、国の独立は国民の意思であるのが基本だろう。スペインではいくつもの独立運動がある。しかし、憲法で独立が禁止されている。だから、独立の投票自体が憲法違反になる仕組みになっている。こういうことが憲法で決まっているのは、フランコの独裁政治の名残なのではないか。バルセロナ地域の独立はむしろ経済的な優位な地域が抜けようという動きで、EUという大きな統合の枠組みが上位観念として出来ているのだから、独立しようという方向は何か不思議な気がする。沖縄の独立の背景にあるものは、沖縄人の琉球国の記憶ではないか。沖縄差別もある。経済の恩恵を与えるから、米軍の占領は我慢しろ。そして今は米軍基地の集中を我慢していろである。中国の脅威に対抗しようというだけで、米軍が沖縄だけに集中する根拠はない。
この冬には石垣島に行く計画である。沖縄本島より台湾の方が近い島である。石垣島には田んぼが残っている。これを見たいのだ。冬に田圃を見に行くのでは、違うのだが田んぼをやっている時期に出かけることができないので仕方がない。今沖縄に行くと、本土化というのか、東京化というのか、押しなべて全国で起きている現象と変わらないことが起きている。私にはそれは残念なことだが、沖縄県人には悪くないことなのだろう。自然が美しいとか、人が優しい感触であるとか、沖縄ならではのこともあるが。いまのところ琉球国はさすがに遠いい空気だ。理屈としては存在するのだろうが、やはり沖縄県である。それは本土の人間の差別感覚なのだろうか。もし沖縄が琉球国になったら、琉球国に移民したいと思う。果たして受け入れてくれるのだろうか。