和紙と水彩紙
水彩画では和紙を使う人もいる。水彩人では同人の青木伸一氏が麻紙を使っている。日本画のように使うこともあるし、水彩のように使うこともある。今銀座のゴトウで個展をやっている。和紙を上手く使うととてもいい調子が出る。レンブラントが和紙を使ったと言われているくらい、日本の紙には伝統がある。技術を中国から教わり、日本独自の物に改善してきた。中国の紙も使ったことがあるが、日本の和紙の方が良いものになっている。和紙のような伝統工芸品はいまや生き残ることが難しくなっている。その点では今の時点は恵まれているといえる。まだ新しい良い紙が作られているし、古い良い紙が出てくることもある。有難いことだ。この先の和紙のことを考えると、かなり厳しい状況が想像される。和紙を作る労働というものは厳しいものだ。その雁皮や楮やミツマタの繊維の栽培から、採取までが産業として成立していなければならない。その上に、年季のいる高い紙すきの技術を獲得しなければならない。
和紙も工業製品に席巻され、機械すきの和紙の方が量ははるかに多いいのだろう。手漉き和紙というものが特殊な需要と結びつくだけになっている。それは水彩紙と呼ばれる紙も同じで、大半のものは機械で作られた紙になっている。実は手漉きだから描きやすい紙という訳でもない。機械漉きであってもその製造方法によって、自分の絵の調子に合う紙はある。和紙と水彩紙の違いは、紙の目である。毛布目と言って、毛布を挟んで圧迫して水を切るのが、水彩紙である。この紙目が水彩画の調子を作る。凸凹しているので、光を乱反射して複雑な感じを与える。和紙の場合は板に張ったり、重ねて乾かすのでのっぺりした表面の調子である。むしろ紙の表面の調子よりも、紙に染み込む変化で色合いを見ている。滲みやかすれでに複雑さが現れる。機械漉きの和紙であれば紙目をつけることはたやすいことなので、中判全紙くらいの良い機械漉きの和紙原料の水彩紙ができるといいと思うが、不思議に挑戦する会社がない。ケナフを使った水彩紙はあるが、この紙はそれほど良いとは思わなかった。
水彩紙の原料であるラグが将来枯渇すると思われるからだ。100%の綿布は減ってゆくのではないかと思う。そこで雁皮や楮やミツマタや麻を材料にすることで、より日本的な水彩紙が出てくる可能性がある。紙目のある水彩画用の和紙である。たぶんそういう紙が出来れば、日本画も変わるはずだ。日本画も今は油彩画の影響なのか、顔料を盛り上げて描いているものが過半である。あれでは紙だろうがキャンバスだろうが同じ結果になる。日本画の伝統的な魅力である、紙との親和性を考えると詰まらないことだと思う。紙目とにじみを上手く共存させて使えるのが、水彩画なのだと思う。もし浮世絵の時代に紙目の有る水彩紙が存在すれば、もっと多様な日本画が生まれたことだと思う。
私はファブリアーノの小型機械によって作られた水彩紙を使っている。モルドメード水彩紙(円網抄造=機械漉き)である。水彩紙で手漉きは珍しいし、それほどの意味もないと思っている。大きな紙目と紙の厚さが際立っている点で使っている。今のものはたぶん、バージンコットンになっている気がする。私が保存しているものは、ラグで作られた紙だ。コットンになって調子が違った。柔らかさが感じられなくなった。とすると、鳥の子紙の様な材料で紙目があれば、面白い水彩紙になるのではなかろうか。雁皮による、水彩紙を開発することは難しいことではない。と思って調べてみると、絵手紙用のこうした紙はすでに出ている。伊予雁皮紙という。絵手紙に使われるのはよく分かるが、この紙をもう少ししっかりと紙目をつける必要がある。紙目で出来る光の複雑さが水彩の色の美しさにつながる。紙のサイズも中判全紙ぐらいまでのものにすれば、水彩画の世界が広がる気がする。