経済成長はもういいよ。
安倍政権では新3本の矢を打ち上げるらしい。前の3本の矢の成長戦略というのが実にわかりにくかった。矢が外れたので、次の矢を打とうというのだろう。日本の景気が良くならなかった。当然のことで日本の景気は、世界経済の中にある。しかも日本は途上国経済ではなく、経済成熟国のひとつである。発展途上段階のような経済成長の再現は無理な状況なのだ。成長から安定循環の方向に入らなければならない。どこに充実を求めるかはそれぞれのことである。一人一人暮らしの充実である。今度の新3本の矢では、国民総生産を600兆円を目指すらしい。これには3%のGDPの増加が必要になる。長らく1%にも満たない状況なのにまともなことではない。一億総活躍社会だそうだ。掛け声だけが声高なのは、何か戦時中の掛け声のように聞こえ、きな臭い。一億には私も入っているのだろうか。あるいは残りの3000万人の方なのか。もし私が入っているとすれば、どんな活躍が求められているのだろう。もっと暮らしを味わうようにしろと言うなら分かるが、もっと活躍しろと言われても全く意味不明である。
労働人口の減少で経済成長ができないから、女性の活躍とか、移民の受け入れとか、政府は主張を始めているのだ。人間は国家の経済成長のために生きているのではない。生きている間、どれだけ自分の人生を充実全うできるかが、肝心な所なのだ。人生の目的とはそういうもののはずだ。国家に命じられるようなものではない。多様でそれぞれのものであるはずだ。企業経営者になって世界を変えたいという人もいるだろう。絵を描きたいという私のようなものもいる。人はそれぞれの充実に向かう以外にない。その自由を保障するのが国家の責任であり、目的だ。国家は人間の後に来るものだ。日本は途上国の時代は終わった。安かった労賃で物を作り、外国に輸出するような時代は終わった。先端技術が、途上国へも導入され、良い製品が日本より安く作れるようになっている。世界中の企業が安い労働力の国に工場を作り。日本や世界中に販売する時代だ。そうした世界の潮流を上手くとらえたかのように見えた韓国は、徐々に国家内部の空洞化、格差やひずみの拡大。という予想された問題点が表面化し始めている。
競争から充実へ。成長戦略から成熟化戦略へ。最近の本を覆う、むなしさや自信喪失は、日本だけが高度経済成長できる優秀国家と考えていたところに、韓国中国にしてやられ始めてからではないか。どの国も、経済途上国時代があり、安い賃金で急成長する。そのあとは方向を変えなければ、他国に迷惑をかけることになる。従来型の解決策では乗り切れない事態に日本は至っている。安倍政権の発想は、過去の成功体験にしがみついて、もう一度という古臭い手法で希望も夢も感じられない。経済的豊かさだけが人生の豊かさをもたらすという発想が、思想の貧困からくる発想なのだ。文化の充実こそ日本の方角である。どれだけ豊かな文化に満たされた日々の暮らしを送れるかだ。江戸時代金魚の改良に人生のすべてを費やした人をの人生を思い起こしてみることだ。
幸いなことに日本には江戸時代という鎖国をして、低成長の中で文化を充実させた時代がある。ご先祖を敬い、日々に感謝して暮らす充実。そして、文化においては、世界有数の物を作り出した。世界に潤いを与えた日本文化というものは、江戸時代のものだ。その文化の蓄積が、明治の文明開化を可能にした。そしてその勤勉な働きぶりが、戦後の経済成長にもつながった。そのすべての背景にあったものが、お米である。稲作である。農業を文化と言ってよいところまで磨き上げたのだ。瑞穂の国日本である。これを失いかけているのが現状である。そのためにお金以外は価値を見つけられない人間になりかかっている。お金では日々の充実は、人生の充実を得ることなど出来ない。仲間と自給農農業をして暮らす。絵を描いて、字を書いて、三線を弾いて、篆刻を楽しみ、染色を楽しむ。生きている間はやりたいことを十分にやる。安倍さんの期待する、成長のための活躍などしたくないよ。