葛飾美術研究所44年展
葛飾美術研究所44年展に作品を出品していた。「葛美:かつび」は金沢美大の彫刻の人たちが、東京で共同アトリエを作ったところから始まった。かつびの人たちが金沢美大にいたころから、私は知っていた。金沢美大の彫刻の人たちは、すごい作品を作っているということで、当時鳴り響いていた。金沢中央公園で2度野外彫刻展を開いた。その会場で山本さんと初めて話した。北陸3県の芸術祭をやるときに、金沢美大の人たちにも加わってもらおうと誘いに美大に出かけた。その時に自治会を訪ねて冨田さんにお会いしたような気がする。それ後、フランスから戻り東京で制作するようになって、金沢美大の人たちと少しづつ交流するようになった。自由美術の田賀さんが金沢美大の1期生ということで、交流を作り出してくれた。毎週誰かが個展を開催していて、その都度みんなで集まった。みんなを紹介してくれたのは、庄田常章さんという人だった。弟さんが金沢大学の哲学の人で、知り合いだったということがあったのだと思う。
かつびを訪ねるようになった。共同アトリエという雰囲気と熱気が魅力的だった。画学生の空気をなぜ継続できているのか、とても不思議な場所だった。彫刻の人だけでなく、日本画の人や油絵の人もいるということを知った。東京の人が共同アトリエに参加していうということもあって、さらに不思議に感じた。そのうち建て替えがあったり、引っ越しがあったりした。時には何かのかつび関係の展覧会に誘われたりもした。かつびではクロッキー会もやっていて、それにも参加していた。みんなでモデルさんをお願いして描いていた。クリスマスのころにはみんなで集まって飲んだ。多くの人がそこで息をついていた。絵や彫刻の道をもとめて金沢から上京する人たちは、どこかかつびを頼りにしていた。アンデパンダン展に出品する人が多く、彫刻研究会というものも長く続けていた。そこにはカヨ子さんが参加していることもあって、交流が途絶えることはなかった。
長野の葛窪というところには、白の家という石彫をやる場所を確保している。そこでは農業もやっているということで、会えば農業談義で、あれこれ野菜の作り方のことになったりする。直接顔を合わせることは何年もなかったりしたのだが、作品は継続して見させてもらってきた。今回久しぶりにお会いしたという人もいたのだが、作品を観ているので、少しも時間が空いている感覚はなかった。作品は見れば誰のものかはわかる。それはお互いのことなのだろう。自分では今回出した作品が昔と同じとは到底思えないのだが、人から見れば同じようなものなのかもしれない。一つの違いは、私は水彩画に変わったということがある。そして、誰の作品も水彩画という視線から見ているということがある。マチュエールということを考えた。水彩画の美しさはマチュエールがないところだと感じた。装飾をそぎ落としている素朴。
水彩画は楽でいい。肩肘が張っていない。偉そうでない。単純だ。油絵や日本画に比べればということだが。水彩画だって、偉そうなものや、大げさなものもある。しかしそれは向いていないことだから、何かおかしなことになる。水彩画は小学生が描いている絵から少しも変わらない軽やかさが良い。ということを自分なりに確認した。ただの自分であるという記録であれば、水彩画が良い。王様を描いて宮殿に飾るとか、宗教施設の大伽藍に飾るとか、権力者を描いて国会議事堂に飾るとか。そんなおおげさな目的の有る絵には向かない手法だ。ただ個人的に日記のように書き留める絵に向いている。だから、私絵画ということには水彩画はうってつけなのだ。自分がいつの間にか水彩画しか描かなくなった理由も、なんとなく確認できた。生活があって、暮らしがあって、その中で書き留めるという感触には水彩画なのではないか。この方向を考えると、この先水彩画の時代が主流になるのかもなどと思いながら、かつび展に参加した。