関東豪雨、鬼怒川の氾濫
栃木県から茨城県にかけて24時間雨量で500ミリの雨が降って、鬼怒川の堤防が決壊し氾濫した。6500軒が氾濫に巻き込まれたというのだから、関東地方では珍しいほど大きな水害が起きてしまった。地域によっては500ミリくらいではなんでもない場所も多い。堤防が十分でなく、改修が予定されていたらしい。昔は東京では水害は頻繁に起きていた。熱心な治水への努力で、都市型水害はほとんど無くなった。今回は堤防を越水するという予想を超えた雨量が川に集まる。朝方から堤防を越水していた。それほど鬼怒川の水位が高くなったのだ。越水してから、半日ぐらいのことだったのだろう。そして、ついに堤防が決壊した。決壊をすればどんどん堤防はえぐられてゆく。大量の水が周囲の集落を襲っていった。越水を始めた時に危険を感じて、急いで避難を徹底しなければならなかった。テレビなどでもそのことを伝えていた。避難指示も出た。それでも避難できなかったり、避難の途中で流されて亡くなられた方も多数おらる。避難したくてもできない人も地域にはたくさんいたのだろう。
命のはかなさを思い呆然とするところがある。小田原では栃木方面に雨が移る前に相当の豪雨が降った。箱根でも累計では400ミリくらい降ったのだから、久野でも相当の雨風だったことは確かだ。田んぼの稲はだいぶ倒れた。田畑の水没した農家の落胆を思えば我慢できる範囲だ。連続して雨雲がなだれ込む位置が少し北側にづれて行ってくれて短時間で済んで小田原付近は助かった。そのラインが日光連山にぶつかり、雨が集中することになった。それでも久野川も危険水位を超えて、避難勧告が出た。あと50センチ水位が上がれば氾濫した。久野川の水位は毎年一度はある程度で収まった。酒匂川は夕方通ったが、それほどの水位にはなっていなかった。丹沢方面の雨がそれほどでもなかったからだろう。雨というのはずいぶん偏在する。久野川の水の濁りは早く収まった。稲も少しづつ持ち直している。早く日照が戻ることを祈っている。稲の弱り方がどうも普通ではない。8月後半からの日照不足は稲にはかなり深刻な状態である。大豆の方は日照不足は影響しないものだ。これだけの雨続きでも生き生きとしている。小豆は収穫のタイミングを外して、だいぶ落ちてしまった。落ちた豆から大分発芽している。それにしてももういい加減に晴れてもらわないと困る。
今回の水害は2つ要因がある。まずは、地球の温暖化によって気候が荒くなってきているという地球の変化。2つの台風が同時に来ることが多くなった。晴れれば晴れが続いて、かつてない高温。日照がなくなれば、8月後半から3週間も雨続き。こんな気候になったのだという前提で、自給農業も考えなければならない。作物の自然栽培はより難しくなっている。この規模の自然災害が毎年どこかであると考えておかなくてはならない。いつ小田原にこうした自然災害が起きても不思議なことではない。もう一つが山の保水力、田んぼの保水力の低下が日本全体に起きている。治山治水というけれど、山が管理されなくなっているということがある。どこの里山も薪炭林から、黒木の植林に山が変わった。温暖化も人間の暮らしの変化がもたらしているものだ。中山間地の田んぼが急激に減少している。雨が降れば一気に水が川になだれ込む。
豊かな森のある山を取り戻すこと。関東周辺の山は江戸に対するエネルギー供給地として、徹底した管理がなされていた。薪炭林であり、建築用材である。それでも今より荒れていた山もたくさんあったようだ。杉ヒノキの植林に偏っていることが保水力の減少を招いている。幸い人口が減少してきた。日本の自然の中に、日本人の暮らしが収まるように考える必要がある。今のまま行けば、人間が地球環境を破壊しながら暮らしているということになる。快適を求めて、不満の出ない暮らしを求めて、人間の快適が自然を痛めてしまということだろう。どこかで安定して繰り返される暮らしの道を見つけるべきだ。競争し、拡大再生産する社会には限界が来ている。これでいいというところを見つけなければ、さらに自然災害と言い切れない、災害が増えてゆくことになる。