中国の元切り下げ後
世界の通貨は変動相場制ということになっているが、実は各国政府がそれぞれのレベルでコントロールをしてきた。中国は世界で実力を高めに見てもらう目的で、あえて元高政策を進めていた。日本ではアベノミクスで現在円安誘導をしている。日本はなりふり構わずの経済偏重だろう。日銀と政府の思惑で円の水準は作られているものだ。円を安くしたいならどんどんお金を印刷すればいいんだと主張したくらいだ。変動相場制に一応はなっているという状態が、自由主義経済という、これも建前と調和しているということなのだろう。中国は国家の威信のようなものにこだわりが強い中華思想の国だ。昔のソビエトの姿を思い起こさせる。経済的に後進国が徐々に先進国化するときに起こるようなことだ。国家の中のアンバランスな状態をコントロールするために、海外との比較を強調する。
日本の場合、戦争に負けて経済やスポーツでで負けを取り返そうという意識だったのだと思う。アベノミクスでは株価も高値に誘導されているのだろう。公的資金の株運用がなされている。それでも国民全体としては、敗戦の傷は回復している。むしろ政治家のほうが、引きずっている感じを受ける。中国のことを考えている。中国は植民地化されるほど衰退していた。近代化からも取り残された。しかし、強大な国家としての歴史と文化を抱えている。この眠れる大国をどのように再生できるのかというのは、中学生のころ父とよく議論した。当時、内藤湖南の中国論などを読んで、生意気に中国文化を圧倒的なものとして受け止めていた。それに対して父は従軍7年間の実体験から、中国がいかに後進的な国家になっているかを語っていた。但し、毛沢東ならできるかもしれない。農民出身の皇帝ならできるかもしれない。とんでもない政策を強行する以外に、中国の可能性は開けないだろうという意見だった。その後の中国は、一人っ子政策などというトンでもない政策を連発した。
その後紆余曲折はあったが、中国は経済大国になることに当面成功した。その大半の理由は、世界経済の中国利用にある。安価で安定した労働力の供給。世界の工場の役割。そして、膨大な市場。その波をうまく利用したという範囲での成功。中国が世界のトップになるためには、製品開発での独創性のようなものはまだない。中国人が古代に開発した技術や文化が世界を一新した。次の技術で中国が何か生み出せるかは中国文化というものの力量なのではないか。世界では、中国がアメリカを追い抜くだろうという予測のほうが多いという。日本は対抗心と、僻み根性と、実は一番中国を知っているということで、中国経済は失敗するという意見のほうが多い。私は、そこそこでダラダラ行くとみている。中国人の優秀さと、格差の大きさ。国家資本主義というものの限界。そして、多様な文化蓄積の深さは今も変わらない。
元の切り下げということは、無理に元を高く保っていた結果、国内経済に起きた行き詰まりから来たことなのだろうが、中国が覇権主義を捨てざる得ない意味もある。背伸びをしてみて海峡から落ちかかっているのだ。中国ではなんでも大きい。ホテルのソファーが2倍はある。鉢に植わった盆栽の槙が大木である。中国画は1000号を超えている。事大主義が捨てられるかである。日本人が成功したのは、トランジスターラジオである。小型化、軽量化。そうしたものを生み出した原点は日本の水土文化である。小さな田んぼをいかに効率よく栽培できるか。そこで培われた観察力である。つまり民主主義的文化である。中国文化は皇帝の文化である。文字を作り出した文化。火薬を作り出した文化。万里の長城を作った文化。もし、中国が普通の国なることができれば、アメリカを追い越すのだろう。