7月の自給畑

   

農の会のフェースブックからの写真。

トオモロコシの2度目の種まきを上の畑の都合もあって、今年は7月初めと思っていたのにすでに終わっている。今朝ちょうど発芽をしている。その時に併せて小豆もまいた。これも発芽を始めた。ソバも新しい畑にまいてみた。肥料分がないのでどうなるのか見てみたいと考えている。近藤修一さんから、山アジサイを何と50本ももらった。これを下の畑の一番下の淵に並べて植えた。梅雨明け前に植えたいと考えて、がんばって作業したので終わっている。今朝の雨ふりで一安心である。7月の農作業は田んぼの拾い草である。めだか田んぼでは2日にころがしをやる予定である。畔の草刈りが担当なので、7月も続く。家の畑ではトマトは食べ始めた。今年はミニトマトもやってみた。さすがに良く成るものだ。もも太郎ももう少しで食べれそうだ。ピーマンやナスもそれなりには成長をして、草から顔を出した。いる。いんげんも草に埋もれたが何とか生きている。最初のトウモロコシは今年は追肥をしたが、良くなるだろうか。穂はそろった。

毎月、月初めには、その月の自給畑の様子を書くようにしたいと思っている。来年の参考になる。少しづつ思い出して書いている。先月末のことだが、6月28日に大豆の播種を行った。写真は大豆用の播種機ごんべいで蒔いているところだ。傾斜地なので、登りを蒔くのは息が切れる。前の人は、3人で蒔いていて、脇の人が、正しく落ちているかの確認。後ろの人は、上手く覆土されているかの確認と覆土。農の会の大豆畑も、家の大豆畑も同じ日に行った。準備もほぼ同時進行でやっていた。家のほうは1キロの大豆を蒔いた。農の会の畑は10キロを蒔いた。家の大豆畑はちょうど10分の一ということになる。収穫量もたぶん10分の1ということなのだろう。農の会の畑は7畝である。210坪になる。家のほうは21坪ということになるのか。もう少し広いようにもみえるが、畝巾が広かったのかもしれない。こちらは鳥よけをしないので、どうなるか。

大豆の種まき日は、前には7月7日に蒔いていた。このあたりでは昔からそう言われているということである。ところがある時、松本さんから、それは酒匂川右岸の話で、左岸では6月終わりだということだった。果たして大豆がそれほど気候に敏感とも思えないので不思議に思った。枝豆にするなら、4月ごろから蒔く。その主たる原因は天候の問題ではなく、田んぼの作業の関係だと思っている。大豆に取り掛かるには、田んぼが終わらなければ無理だ。何しろ麦が終わり、田んぼの起こしをして、水入れ、シロカキである。水が来なければできないし、地域によって、水の入る時期がずれる。一昔前まで、どこでも田んぼの水は足りなかったのだ。水を回す順番には厳密な慣例があった。今は、田んぼが当時の10分の1ぐらいに減っているから、水は余っている。余っているにもかかわらず、昔の水の取り合いを忘れていない人がいるほど、水には敏感であるし、土地の価値にも水利がかかわっている。

気候的に考えれば、久野の山の上方の畑であれば、早めのほうがやはりいいのではないか。ということで、6月の最後の日曜が大豆の播種の日。大豆と麦を同じ畑の裏表で作っているので、麦の刈り取りが、田植えが終わってからの6月初めで、刈り取ってすぐに藁に堆肥をかけてすきこむ。そしてできるだけ時間を空けて、ということで4週間空けて、大豆の種まきである。家の畑も同時進行である。なぜ家のほうでやるのかと言えば、一か所では心配だからである。何かあっても少しでも足しになればと思うし、危険分散できると考えている。何かのときに種だけでも確保したいという気持ちがある。味噌の参加者が多くて、不足すれば補充できる。最近の天候不順と、獣害のひどい状態を考えると、何が起きても不思議がない。用心に越したことはない。岩澤さんの考え出した、断根、摘心の苗作りは、今年はやめた。有機農業ではよほどの地力がなければ、良い結果が出ないという結論になった。もう一つは直蒔きでも、鳩に食べられることが今のところないからである。

 

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