敗戦70年談話と靖国参拝
首相は歴史認識をめぐる歴代政権の考え方について「基本的な考え方を引き継いでいる」とする一方、村山談話のキーワード継承には「同じ言葉を入れるなら、談話を出す必要はない」と否定的な考えを示している。
高市早苗総務相、山谷えり子国家公安委員長、有村治子女性活躍担当相は二十三日、春季例大祭に合わせて東京・九段北の靖国神社を参拝した。三人は、昨年十月の秋季例大祭の際にも参拝している。(東京新聞)
安倍氏は日本をとんでもない所に送り込もうとしている。間違った歴史認識の持ち主である。過去の歴史の事だけではなく、現在の世界情勢の中で、自分の今行う行動や発言がどのような意味をもつのかが分かっていない。同じ言葉を今繰り返さなければならない理由を知るべきだ。被害者と加害者の違いである。事件の被害者は生涯忘れられないと言う。殺人犯人に罪を忘れてもらっては困るので、刑罰というものがある。バンドン会議では、反省はしたが謝罪はしない。過去の日本の侵略に対する謝罪する気持ちを捨てた、と世界は考える事になる。安倍氏の本心は侵略など無かったという事なのだろう。未来志向とか、積極的平和主義とか、言葉でごまかそうとしているが、安倍氏は武力以外信じない人間と思われる。日本人をとてつもない窮地に追い込もうとしている。総理大臣という立場を考え、ここは何としても自重してもらいたい。
安倍氏が本心では、日本は侵略などしていないと考えているだろうと言う事は充分に分かっている。しかし、近隣諸国との関係を考えれば、70年談話において、侵略を認め、謝罪する事は総理大臣の務めである。確かに日本人として、謝罪を繰り返さなければならない事はつらい。近隣諸国にうるさく言われると、何処か嫌な感じがするのも確かである。80年前の世界情勢は今とは違う。日本だけが悪かったはずもない。特に、従軍慰安婦問題など、今の時代の感覚だけで批判されると少し違うという気はする。しかし、それでも、ここは我慢である。近隣諸国と仲良くするために、日本人としてともに謝ろう。謝る事こそ未来志向だと言う事に気付こう。もう70年もたったんだし、過去に2回声明も出しているんだから、今度は謝罪は要らないでしょうと言うのでは、筋が通らない。謝る事で少しでも相手の気が収まるなら、謝る方がえらい。
日本は大東亜共栄圏を目指して、戦争を行い、そして敗戦をしたのである。ここまでは安倍氏も認める事だろう。アメリカは日本に進駐し、占領していたのだ。そして、民主国家に変えようとして、理想主義的な日本の歴史からみれば、実状に合わない事もした。農協、教育制度、民主主義、そして国際紛争を軍事力で解決しないとした、平和憲法である。アメリカ的理想主義が日本の土壌に合うものと合わないものがあり、今に至っている。アメリカの正義がすべてまともかと言えば、まともでないものも多々ある。しかし、アメリカに占領され、やっと独立が許され、世界から民主主義国家になるか、不安の目で見られながら、何とか日本は再起した。敗戦国であるという事は忘れてはならない事である。70年が経過したとはいえ、日本が歴史上大失敗をやらかしたという事は、それを侵略と位置付けようが、諸民族の独立戦争と位置付けようが、敗戦して終わったのだ。
いまさら侵略をしたという事を変えようとすれば、日本がどういう国とみられるかである。侵略を認め、謝罪をしてやっと仲間入りさせてもらっておいて、何と言うずるがしこい国かと見られることになる。油断ならない国とみられる。それは戦争責任者で戦犯とされた軍人の合祀されている靖国参拝を女性大臣が行うことも、問題とされる事になる。日本の安全保障にとって、特に武力を使わない平和を目指す国として、大きな危険を背負う事になる。緊張を高め武力国家になろうと言う意図を勘ぐられる。侵略をしたというの事は、既に日本政府が認めた事である。安倍氏ですら発言している。侵略というものがどういうもので、学問的には確定されていないなどと、主張するのは見苦しいいい訳にしか聞こえない。前向きに、明確に謝罪をすることからしか未来の平和は生まれない。