自治会長を終わるにあたって
自治会長を終わり、やはりホッとした。ともかく役割を何とか乗り切る事が出来た事は良かった。仕事の意義が把握できないと言う事は、分かってはいたが想像以上に負担感があり大変だった。自治会で地域社会のコミュニケーションをとることが変わらざる得ない時期なのだろう。暮らしの中で、自治会の仕事にかかわる余裕が失われ始めている。自治会長の仕事をやりながら、この仕事が無かったら、どういう事が起こるのかを、常に考えていた。自治会に入らないと言う人にとっては自治会が無くとも、少しも困らないだろう。地縁型自治会から、協議会型住民自治組織への転換期だ。地域活動シンポジュームでの法政大学の名和田是彦先生の言われていたように、地縁型自治会が活力を維持している内に、協議会型住民自治組織を立ち上げない限り、地域の維持機能は失われてゆくという指摘は深刻なことだ。それを実感する、2年間であった。私は、小田原生きごみクラブというものを、何年もかけて立ちあげた。それは、加藤市長の意欲にこたえて、市民協働の社会の事例を作ろうと言う事であった。
しかし、何故か加藤市長自身が協議会型住民自治組織へ転換を意識していない。結局は地縁型の組織の上に乗ってしまって、地域を変えて行こうという意欲を失った。それで私はこの活動を離れた。どうも市長にはなりたかったが、次の目標は長く市長でいられるかだけを模索しているように見える。政治を志す人間はどうもこういう類が多い。市民自治をやりたいと言っていた事など、全く忘れたかのようだ。勿論自治会長はそれとは関係が無い。舟原に暮らしてきて、自分の役割として頼まれた以上やろうと考えて引き受けたことだ。私は自治会長になったら、具体的にやりたい事があった。大きくは3つのことである。1、地域防災を進めること。2、自治会規約を作ること。3、自治会の名簿を作ること。この点では完全ではないとしても、それなりに進める事が出来たと考えている。覚悟はしていたが、しこりは残したようだ。
防災では、舟原の土砂災害危険地域の周知と対策である。一時避難所がフラワーガーデンに移動して、どのような避難を行えばいいかを話し合った。しかし、この事はいまだ道半ばで、来年一年防災リーダーとして、継続したいと考えている。久野全体の防災訓練が、形骸化している。各地域の実情に即した訓練と考えれば、全体訓練よりも、地域ごとの一時避難所への非難や、安否確認の防災訓練を行うことが、緊急的なことではない。防災倉庫を土砂災害危険地区の中に置いたままでいいのだろうかと心配している。いまだ、フラワーガーデンへの避難経路も定まっていない。遠すぎて無理だと言われる人も多いい。弱者への配慮なども、具体的な検討が必要なのだろう。災害時のレッドゾーン居住者の安否確認の訓練は行う必要がある。
自治会規約はそれなりにできたのだと思う。今後運用しながら、より舟原に相応しいものにしなればと思うが、実際には規約などが持ち出されるような事はない方がいい。上手く運営されていれば、規約など気にすることもないだろう。名簿については、まだ一部不完全なものだ。どうやって、個人情報を守りながら、連絡網を作り上げるか、今後の課題として残る。今回の自治会長の仕事は、組長の集まりである役員会というものを実質化することを心掛けた。すべてを役員会に掛けてその決定で動くと言う事である。役員会が一つのチームになって、チームで事に当たる、そのチェアーマンが自治会長という形である。それなりに上手く進んだ気がする。話し合いには時間を掛けないように30分から、長くとも1時間以内に収まるように努力した。