スリットドラムを作る
表面
以前からスリットドラムを作りたいと考えていた。良さそうな、ケヤキの塊が手に入ったので、保存してあった。木魚は一般に楠で作るようだが。ケヤキが好なのだ。我が家の倉庫にはそんな訳のわからない材木が沢山保存してある。時々、テーブルを作ったりして楽しむ。先日作った竹楽器もまだ途中である。そもそも木魚の音には、子供ころから親しみがある。あの柔らかな朴訥な音には、えも言われぬ悠久感がある。本堂に行ってよく木魚を敲いて遊んだ。向昌院の木魚は40センチくらいのもので、多分元々は赤い朱塗りのものだったようだ。その朱塗りがはがれてきていていたが、なかなか音は良かった。後に他所の寺で気づいたのだが、少し高音の音のものだったようだ。頼岳寺の木魚は立派なもので、70センチくらいはあって、なかなか深い音がした。物は新しい感じだったが、豪華なもので随分裕福な寺だなんだと驚いた。あの頃の向昌院は貧乏寺そのもので、すべてが壊れかけていた。
裏面
木魚という物は、魚が眼を閉じて寝ないということから来ていると聞いた事がある。木魚を叩いて、眼を覚まして修業に励むと言う事を言われた。まあそんなうまそうな事をすぐ言うのが坊さんである。そんなはずはない。大ぜいがお経を読むときの、統一した速度を示す道具だ。木魚が無ければ、何十人で唱和すると言う事は難しい。お教を読む、言葉や調子を壊さない指揮の楽器としての木魚であろう。床を叩いても悪い訳ではない。だけれども、あの邪魔をしないポクポクと言う音が最善である。指揮者が視覚的に合図をしないでも、全体がハーモニーして行くために必要な楽器に違いない。スリットの無い木版というものもある。魚の形をしているホウと呼ばれる魚型の板もある。食堂に掛けてあって食事の合図に鳴らす。将棋のコマ型のもう少し扁平な板もある。大抵は何かもっともらしい言葉が書かれている。こちらは普通時報の合図に使う。ただの板の場合は音は響くが、鋭くなる。ぬくもる様な含んだ音にはならない。
中のスリット部分
良い音をさせるには、中の空洞が重要なのだと思う。残す板の厚さも薄い方がいい音がする気がするが、あまりに薄いとわれてしまいそうで怖い。今回作った物は、まだそこそこの音しか出ない。徐々に改善して行くつもりだ。それでも竹で作った打楽器とは違う、やわらかな音がする。座って膝に載せて、手でたたくような感じで、良い音がすればと思うのだが。相当乾いていたはずだが、掘り出した木屑は結構湿っていた。しばらく中から乾いてくれれば音も変わってゆく事だろう。現在周辺に残っている木の厚さは25ミリくらいかと思う。この後20ミリくらいまで減らしたいと考えている。全体を均等に薄くして行くことも音に影響する様だ。作ってみて分かったことだが、スリットドラムを作るのは、相当大変だと言うことだ。